水位先生の神界出入秘録 幽界記の上木に就いて

 

今春三月二日は水位先生の御六十年祭に相当しますので、
之を機会に私はさしあたり何とか実現の線にもってゆきたいと考えていた。
当面二つの企画を立てました。

即ち神仙道誌の復刊と、今一つは先師の幽真界出入秘録たる「幽界記」上下二巻の刊行であります。
(刊行と申しましても普通の刊行物としてではなく、縁あって今日まで私と道を同うして歩いて来られた
篤信の道友各位(呈すべき限定上木であります)

そして年頭早々から此の幽界記稿本の整理編輯し就中重点を幽境七十八区界記や
異境見聞録との関連部分の照合引証に傾注したのでありますが、
果たせるかな危惧していた諸々の靈的制約が堰を切った如くに身辺に押し寄せ始めたのであります。

斯うした現象は格別珍しいことではなく、広く云へば、
私の現界生活は毎日々々が何らかの靈的規制のうちにあるので、
それは斯うした立場に立つ者の謂はば宿命ともいうべきものですが、
然し今回のそれは甚だしく酷なもので、
遂には筆記能力そのものを機能的に封じられてしまうのではないかと危ぶまれる状態にまで

陥りました。斯うしたことに性来人一倍強情な私ではありますが、
今はこれまでと、中道にして筆を擱かざるを得ませんでした。

水位先生も『(前略)の幽界は毎々見て別に記し置ける書ありしに其の中には人間に漏らされぬ秘事も多くありて
其書を人に見する毎に熱病を七日ばかり発する事はいつもたがわず、故に去る明治十六年一月一日に焼き捨てたり』
という御体験の手記もあり、これは『故あることなり』とも
「いかにしても大事をば書く止むる事かたきは、こは幽冥中にゆるさぬ理りのあるべし」とも仰せられてあり、
兎に角私としては「許される限り」の局限までをまとめ得たものとして
此『幽界記抄』を上木することと致した次第であります。

(今一つの理由は、かくて念頭よりして時すでに五月に入り、この様な状態から離脱出来なくては、
道誌復刊をはじめ一切の道務がまたまた停滞の霧に閉塞されてしまうこととなるので、
精力と時間と能率の配分上からも、
幽界記の為にこれ以上の犠牲を忍び難い事態と判断した為めもあります。)


 

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