うずまき語録 智・忠・孝・信・義・礼・悌・仁・道徳育

 

 

○神仙の書とは、玄道隠微の書であると師仙は申される。
我れ仙人の位に進まむとして玄道を学び、精神にして其の位置に至れる人を得れば、必ず授くべし。

また其の人にあらざる時は、之を洩らし伝ふるとも其の法行はれず、また神祇の悪み給ひて必ず其の禍をうけむ。
又其の人を得るときは、必ず天神地祇に祈誓して後其の法を授けむ。
また其の伝ふべき人を得て伝へざる時は、又其の禍を受けるに至る。

軽々しく伝ふべき物にあらず。
汝吾道を授かり得むと思はゞ玄道隠微の書数多あれば、順次を立てて学ぶべし。
其書を学び得て仙籍の理ほゞ覚り得るに至りては、其時こそ疑なく授けむと諭せし也。
これ然る事にて、如比(かくのごとく)あるべきぞ、神仙隠微の道にはありける。

○善悪の果報は影の形に
 随ふが如く 響きの声に
 応ふるが如く
 三世の因果の循環は
 厳律にして亳末ばかりも
 違ふものではない

現在の自己とは過去の集積であり
将来発展の原因でもあるからであります。
集積とは簡単に自己の学問経験教養のみを指すのではありません。
即ち天地萬物諸々のものによって生ずる精神的物質的な因果関係の現われをも含むものであります。

 

 

○幽冥神仙の玄旨を得むと思へば
嗜欲の為に好み慕ふべからず
嗜欲の為に神仙久視の法を学ぶ
時は返って寿命を縮めるに至る
且つ人の進栄を妨げ人の悪を挙げて
   
人の善を蔽い 慢心を逞ふして
人を見下げ  陰謀を以て人を陥れ
己一人富貴長命して 世を渡らんと欲する類かけても及ぶべき位置にあらず

故に玄学記の巻端にも 神仙の玄旨は
天機の最も重きものにして不忠・不幸
不慈の人に伝えず 伝ふれば必ず其の殃あり

又至当の人を得て伝へざるも又其の殃あり
其の人を得て天信の玄旨を授くるに至りては
血を啜り盟約し 天神地祇を祭して
訓戒条目を謹読して後に天信の玄旨を授く
是れ真の道士の伝道の順次なり
故に真に道を好むの士は此の書を熟読して 後に玄妙無量の要路を慕うべし

 

○惑わされない為には 天を信頼して
欲を捨て去ることであります
我が身にふりかかることはすべて天意なり
いいかえれば絶対必然 神の恩寵なりと肝にすえること

神仙の道は神仙より出でたる道 神仙より人間に伝へ給ひし道であって 
斯くあれかしと志望する人間の哲学的思索によりて構成せる理道ではないのである。

人間の智慧才覚ででっちあげた理屈ではなくて神仙の側から人間界に垂示せられた実践道であることを忘れてはならぬ。
人間の側から認識されることによって存在を認められる神仙道ではなく、人間界とは別個に存在して、
而も現実に人間の命運を司掌する神仙によりて伝へられた実践道が即ち神仙の道である。

されば人間の勝手な理屈に基づいて直ちに宇宙的大神霊に道交せんことを期待してみても、
神仙の許容なき限りに於いては、要するに期待はただ期待として終焉するまでのことである。

 

○人間のこしらえた主義主張に神仙を便乗せしめることは出来ない。
被造物は恒に造物者の意図の下にあることを忘れてはならない。

神仙の道は神仙の教えにまつらふ道で、服従の道である。

霊統上の神祇師仙との結縁 正しき道統との結びつきといふことが如何に霊的に重視されねばならぬかということが
しみじみと臍落ちして来なければ本当の学道との結びつきといふことにはならず。

幽顕交通も神術霊験もすべては神祇の御意図の下にあるので電流開閉のスイッチは我に存するのではなく、
神真師仙の御手に握られていることを忘れてはならないのである。

*事苟(いや)しくも神仙の道に関しては自惚れと慢心は大禁物であります。

 

 

○諸子が山に登っても渓谷へ降りても世界の果てまでも旅行しても、或いは単に自宅の周辺を歩き廻っても、
諸君が其の運命の大道で出会う人々は 諸君それ自身の外には無いものであります。
  

人の存亡禍福みな神ま御所為にて仙人は喜怒悲懼悪欲ましてや愛情に対してさえも意識するところがあってはならない。
恬静ということが成仙の条件である。
要するに仙の道と言うのは神仙清浄の大道を得べく修行することである。

峨眉山に到りて天真皇人に見え真一の道を請問す。
四方の名山に遊歴せしも、実は此の真一の道を求むる為なりしを知るべし。

真一を抱いて霊妙不測の門を経て元始天尊の胎に入る。
形を守り悪を却くるは則ち独り真一あるのみ。
得道全一なる者に非ざれば真秘の授受は不可能なもである。

天運の循環と時節の成就に際会する者は暁天の星よりも少なからし。
清浄潔白なる必境の明らかなるにあらざれば、此の道を修し畢る事を得んや。

 

 

○霊的レベルの高さとは
神秘哲学や宗教哲学の知識の多さでもなく修業に費やした年数でもない

それは、あくまでその修業の魂の強さ美しさ魂の振動数の高さなのである
      
神の誠を体験した人は絶対に他人を悪くいわない
大切なのは、その内面でありますが、それがどれだけ清浄なのかという事であります。

 

 

○世に益すること 人に益すること すなわち これが善であります。

 

 

つづく

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