自己審判を終えて、第二の道へ進んだ霊魂(アストラル体)は、高次の世界で、どんな生活をするのだろうか。
彼らが過ごすその世界は、天国と言われる世界である。
そこで生活していると、万物が同じ神から生まれたものだということを、実感するだろう。
そこでは物質的なものを食べたり飲んだりする必要がない。肉体を持っていないからだ。従って、トイレもない。
ということは、食べ物や飲み物は、あくまで肉体のための栄養に過ぎないということだ。
だから、いくら食物を洗練したところで、魂の栄養とはならない。
肉体は健康になるだろうが、魂が美しくなるというものでもないわけだ。
だから、あまり食物に対して、狂信的にならないよう、調和を保つ事が大切である。
では、栄養となるものは何かと言うと、愛である。そして叡智(ノーシス)であり、創造(クリエーション)である。
無限のものである叡智は、ここでは、より一層大切なものとして求められる。
確かに、高次の霊たちが叡智を求め、学ぼうとする姿勢は、地上の人間とは比較にならぬくらい熱心なものだ。
また、美しい音楽も、彼らの栄養である。美しい音楽は、創造(クリエーション)と調和するものだからだ。
生きている間に美しいクラシック音楽を聴いて、そのバイブレーションで自分を満たしておくことは、高次の段階へ一つ接近していることになる。
本書の読者は、たぶんロックやフォークなどを好む人が多いだろう。
しかし一度努力して、クラシック音楽をきいてみてほしい。
ロックやフォーク、歌謡曲に慣れた耳は、はじめのうちはクラシックのバイブレーションになじめないかもしれない。
眠くなったり、退屈だと思う人がほとんどだろう。
しかし、努力してきいているうちに、クラシック音楽が私たちの心に呼び起こす感情(エモーション)の素晴らしさに気づくはずだ。
それは気高く、崇高な感情である。
ロックやフォークは私たちを活動的にさせたり、感傷的な涙を誘ったり、傷ついた心を慰めてくれたりする。
しかしそれらは一時的なものであり、表面的なものだ。
それは、曲目の移り変わりの早さからも、推測できるだろう。
そしてまた最近では、それらの音楽は更に性的に、更に退廃的になっていきつつある。
情欲を呼び起こしたり、気だるい倦怠の中に、私たちを誘い込もうとしているかのようだ。
クラシック音楽でまず聞いて欲しいのは、ベートーベンの「第九交響曲」である。
コーラスで「歓びの歌」が入っている曲だ。
これなら耳慣れていると思うし、この交響曲全体も素晴らしいものなので、ぜひお勧めしたい。
この曲には人間を力づけ、生きる勇気を与えてくれる、素晴らしいメッセージが込められている。
さてまた、マントラのバイブレーションも栄養となる。
例えば、私たちが、マントラ「アオム(AOM)」を発音している時、それは高次にまで届いている。
また、
万物が幸福でありますように
万物が幸運でありますように
万物が平和でありますように
と、祈る時も同じである。
これによって高次の霊たちは大変幸福になる。これが彼らの栄養となるからである。
ここで何か仕事をする時は、全員一緒に協力して行う。
仕事は、それをやり遂げることを通して、何かを習得するために行うものである。
一つの天体の形成を習うこともあるし、植物学や医学、建築を習う場合もある。
そうして習得したものは、再び肉体を与えられた時に、自分のものとして持っていくことができる。
生まれながらの才能として、次の転生で生かすことができるのである。
四歳にして作曲をしたという、音楽の天才モーツアルトなどは、その典型的な例と言える。
高次での休暇が終わり、生まれ変わる時には、川に流される。
「生命の川」と呼ばれる川である。
この川が新しい誕生を準備するために、その人を運んでいくのである。