高山寅吉

今から約190年ほど前、文政元年(1818年)
平田篤胤43歳最愛の妻織瀬を失くし二人の幼児を抱え、生活苦に喘いでいた篤胤であったが、
ようやく気分が一段落したところで、周囲の忠告を受け入れて再婚することとなる。

橋爪左四郎という人の妹でお岩という女性で、四月二十八日に輿入れが行われましたが二ヶ月ばかりで離縁となり、
此の年の九月二十四日 息子の半兵衛(又五郎)死去。
この時節、平田家には暗雲が断ち込め・・・不幸事が重なったが、思う節あって・・・再び再婚を決意する。
仲人は武州の越谷の富豪で、篤胤門下であった 山崎長右衛門篤利の養女りよが後妻として 迎えられる。

この女性人柄も良く文筆も達者で篤胤の後半生を支え臨終を看取った人であります。

輿入れの日から、りよのことを以後お里勢と呼ぶことになる。

苦しい試練を乗り越えて、高山寅吉と邂逅したのは文政三年(1820年)秋の末のことであります。
寅吉こと天狗小僧は最初は文人山崎美成(よししげ)の宅に寄食していた。
美成は神隠しに遭った寅吉少年の不思議な体験談を筆記して 「平兒代答」と名付けた。半紙十五枚計りの
写本で、最初に天狗小僧の座して印を結んでいる肖像があって、「高山白石平馬肖像」と題し、次に美成の讃辞がある。

篤胤の門人松村平作完平は大阪道頓堀の商人丸屋の主人であるが、
文政三年十一月に寅吉に異界の模様について問うた有様を筆記して、篤胤の知己である屋代弘賢が是に「嘉津間問答」と銘々した
和本があるらしい。

知人や弟子の数人から啓蒙された篤胤は、寅吉を寓居にひき取り、自ら寅吉の事や、寅吉と問答した模様を事細かに筆録して
「仙境異聞」三巻を顕した。
其の完成は文政五年である。

「仙童寅吉物語」は「仙境異聞」と同じ内容のものであるといふが、「寅吉物語」は「仙境異聞」の巻三に相当する一冊で
内容も多少相違がある。何でもこれ等の本は写本で傳はっているからして、皆多少の出入りはあるものと思はれる。

何れにしても 篤胤の筆録は一番記事が具体的で、且つ豊富で正確であります。

寅吉について

文化三年十二月三十一日江戸下谷池の端七軒町のたばこ売り越中屋惣次郎に一人の男の子が生まれる。
兄の庄吉は3歳上で 弟は寅の日寅の刻生まれで名を寅吉と命名される。
これがのちに江戸の町を騒がすこととなる天狗小僧寅吉となる。
その眼は大きくて所謂三白眼で眼光鋭く顔は異相五、六歳の頃から予言などを始める。
(水木しげる・神秘家列伝其ノ四より引用す) 

仙童寅吉物語より抜粋

 

●問 「瘧(おこり)神、疫病神、疱瘡(ほうそう)神、首絞神、火事というような様々なものがあり、世の人々に災いを齎している。
    これらはどのようにして出来たものか、師匠から聞いたことはないか。」

●答 「それらはすべて、人の霊から出来たものです。
    この世に人としている時に、心の修め方の善くない者たちが、それらの群れに入るという話しです。
    妖魔は言うまでもなく、そのような鬼物どものすべてが、世の人々を一人でも多く、己の群れに引き入れ、
    同類を増やそうと、それぞれに片時も間をおかず、うかがっているのです。

    このことから言っても、人は僅かであっても曲がった気持ちを持ってはならないのです。
    たとえ徳行を積んだ善人であっても、邪な曲がった気持ちを一瞬でも持てば、日々の徳行は水泡に帰してしまって、
    その悪念は消えることなく、やがて妖魔に引き込まれる縁になるという話しです。

    そう思うと、気の毒でならないのが、極楽へ行こう行こうと思っている人々です。
    死んでみると極楽などはなく、うろたえてしまい、そのうちに悪魔や妖魔や、その他の妖物に目をくらまされて、
    心ならずも、その仲間に引き入れられてしまうのです。
    本当に哀れな話しです。」

 

●問 「魚や鳥、五辛の類も食べるのか。」

●答 「魚も鳥も共に煮たり焼いたりして食べますし、また生でも食べます。
    ただ、四つ足の動物は神が嫌っておられますから、決して食べません。それは非常な穢れです。
    すべて神の嫌っておられることは、犯さないようにする方がよいのです。
    犯すと、魔道に陥ってしまうといいます。
    臭いのきついもののうち、葱だけは食べます。」

 

●寅吉 「何にせよ、慢心や高慢ほど、よろしからぬことはありません。
      それは、魔道に引き入れられる縁になります。
      だから、顔の綺麗な人や諸芸の達人、大金持ちなども皆、慢心や驕りがあるゆえに、多くは魔道に入ってしまいます。
      また坊主は、大抵卑しい身分の出でありながら、高位の者となり、人々に敬われるのですから、皆おごり高ぶる心が出来、
      大抵は魔道に入ってしまいます。

      わけても金持ちが、際限なく欲深く蓄財するだけで、世のために金を使おうとしないことを、殊のほか、神は憎まれていると
      聞きました。」

S8年版 平田篤胤全集第8巻神仙の解題 仙境異聞ニ巻によると、仙境異聞は上編三巻、下編仙童寅吉物語二巻、
神童憑談畧記 一巻、七生舞の記一巻とから成っている。

神童憑談畧記は、篤胤翁の「仙境異聞」を基礎として所謂仙童寅吉に就き説話を試み なほ其の行動を研究した平田門下の
竹内孫市が主として寅吉が霊媒として示した憑霊現象を立会人の一人として如実に又頗る 詳密に書いたもので
文政四年四月の記録である「仙境異聞」と照合して見て、大いに得る所があると思う。

七生舞の記は、「仙境異聞」の附録である。例の寅吉は、之を御柱の舞とも語った由で、なほその演舞に用ふる五管の短笛、
一丈の長笛、リンの琴、伽 陵の笛、浮鉦等の制作法並びに奏法装束 舞人の員数、舞い方等に就いても寅吉が委しく話した所を、
翁自ら文政二年二月一日を以て記録し之に文政四年三月十二日に寅吉が演奏した「山の神楽舞」の事をも添へて書してある。

内外書籍 平田篤胤全集8巻より一部抜書きす。
前口上はさて置き"高山寅吉"のプロフィールをエピソードも含め、その素性や性格etcを浮き彫りにしようと思う。

(学研:神仙道の本より)

 

 

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