ハートの神秘

 

この図版をデザインした人の名前は伝わっていないが、深い叡智を持っていた人に違いない。
これらの図の中には、多くの素晴らしいメッセージが含まれている。
あなたが人生の水平線の道、変化や気晴らしはあるが、何処まで行っても、
魂の上昇がない道には、満足は出来ないと感じる人であれば、別の道、
我々の内部に垂直に伸びる梯子、魂の道が存在し、水平線の道と交差して、聖なる十字架を形作ると云う事を、御存知であろう。

 

ここに挙げた7枚の図版は、垂直の道への道標である。
全てが、シンボルで語られている。
シンボルは、インテレクトを通さず、意識に直接訴えるものである。
そして、それを見る人は、本人の心理状態、又、進化の度合いによって、異なったメッセージを受け取る事になる。

以下、私なりの解釈を一例として挙げてみよう。
しかし、この小文を読まれる前に、まずあなた自身でよく見て、瞑想し、自分なりのメッセージを受け取る事を試みて頂きたい。

又、シンボルの解釈は、必ずしも逐語訳的なものである必要はない、という事もつけ加えておこう。
意識は、奥深い所で、言葉にならない多くの事を受け取っているからである。

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【図1

ハートの中央に構えている魔王。
このハートは、完全に悪魔に占領されている。
複数の悪魔(エゴ)と、自分自身を同一視している状態である。
災いをハートの中に引き入れる悪魔達。
このハートは、環境に翻弄されて、その犠牲者となっている。

欲望の虜になっているので、不満の絶える事がない。
「人生は、不満と苦しみの連続である」と嘆く。
だが、意識が曇っているので、何故に自分が苦しんでいるのか、判らない。
不満があるので、生活を変えたいと思い、又、自分の不運から脱出したいと切望している。

しかし、悪いのは全て、他人や社会の方であると、エゴは考える。
だから、自分自身の本当の姿が見えない。
自分が邪悪さで満ちているという事を、認めようともしない。頑固な表情が、それを物語っている。

彼らの心理は、「苦しみ」と「悲しみ」と「怒り」の歌を唄っている。
だが、そんな歌を聞くのは、もううんざりだと互いに思っている。
ハートが隠れ蓑の役をして、中の醜悪な怪物を見る事が出来ない。

全ての人間には内なる星、内なる魂がある。
だが、図
1のようなハートの状態では、魂の存在を、思い出す事さえ出来ない。内なる星は黒く、くすんでいる。

七匹の動物は、七つの大罪を表している。
孔雀は虚栄心、山羊は肉欲、猪は大食、亀は怠惰、蛇は嫉妬、豹は怒り、蛙は吝嗇を、それぞれ表している。

このような心理状態では、鳩(聖霊)とハートは、反発してしまう。
つまり、ネガティブな感情で満たされているので、そのハートから発する
バイブレーションの為に、聖霊が近づく事も出来ないのである。

しかし、このような救いようのないハートであっても、天使が手を合わせて、祈ってくれている。
叡智がもたらす光と愛は、まさにこの天使の祈りと、愛と同じである。
頽廃していたハートを、甦らせる力のある愛である。

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【図2

反省の気持ちが起こる。
垂直の道の、一段目に足をかけた時である。
1では増長していたハートであったが、ここでは少し控え目にしぼんでいる。
悪魔(エゴ)の勢力も、小さくなっている。

「高いイニシエーション(霊的奥義参入)に到達したいと望む者は、まず自分自身を邪悪な存在として、認める事から始めなければならない」

自己観察が始まり、自己の醜さに気づき始めている。
垂直の道の一段は、革命の一段である。
上昇する事によって、我々のハートのバイブレーションは、より繊細になる。
そして、それにより、我々自身の磁場が変わる。

恐らく、ハートの周りにある炎のようなものは、宇宙的なアストラルの火であり、磁場の変化によって、集まったものだろう。
その変化に気づいた鳩(聖霊)が振り向く。内なる星のかげりが取れてくる。

 

右肩にいる女性は、聖なる母の変身の一つであろうか。
ハートの人物を、心配そうに見守っている。
ハートの人物の顔が左を向いている。
これは、精神的・霊的な方向に、心を向けている事を示している。

自己観察を続ける事で、内なる怪物(エゴ)達の凶暴さは少なくなる。
しかし、依然としてハートの中に隠れたまま、居座り続けている。

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【図3

垂直の道を昇り始めた者には、援助を求めれば、必ず聖なる援助が与えられる。
その人の進化にとって、最も相応しい方法で与えられるだろう。

聖霊の聖なる火が射し込んでいる。
聖なる母が、髑髏(エゴの死の象徴)を持ち、右手で剣(力の象徴)を振り上げて、エクソシズム(悪魔祓い)を行っている。
悪魔達は、退かなくてはならない。それは、法だからである。
アストラルの火は、ハートに入り込んだ。

「ハートの火は、クンダリニーの脊椎経路を支配している。クンダリニーは、ハートの功徳に従って発達し、向上する。」

「絶え間なく自己観察を続け、エゴの侵入を許すことなく、また聖なる母に心から、エゴ根絶を願う必要がある。
マインド(頭)で心理的欠点を、根こそぎ全滅させ、崩壊させる事はできない。
マインドよりも、強い炎のような力を必要とする。
我々の心理的怪物(エゴ)を、宇宙のチリとする力が。
幸運にもその力は、我々の内に存在する。
昔の錬金術師が、「ステラ・マリス」(海の聖母)と呼び、ヘルメスの科学で、「アゾテ」と謎めいた名で呼ばれた「火の力」である。

「魂の母である、このクンダリニーに、エゴを根絶させるように、心から願うのである。
ステラ・マリスは、人間の性エネルギーのアストラルのシンボルである。」

「ステラ・マリス」は、全ての有機体、非有機体の中に潜在する、フィロソファル(電気的な)火である。」


悪魔(エゴ)達は、そこに居座る事ができなくなる。
このようにして、この人生は、我々の内部に隠された醜さを消滅させる、修行の場となる。

宇宙は数学的に構成されている。だが、機械的ではない。
宇宙の中に、聖なる動機があるからである。
高みに昇り行く魂―霊―肉体である我々にとって、励みになる動機がある。

図2から図3に移るために、我々の内で必要な革命は、「決心」であった。
自己の内なる決心、自分の中にある怪物を退治するのだという堅い決心が、内なる母を呼び起こし、彼女が剣を振り上げる。そのきっかけを作る。

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【図4

さて、段階的に身に着けた叡智(ノーシス)と、エゴ根絶の修行(ワーク)がある段階に至ると、聖なる動機が、我々のハート内で、ある「決断」を生じさせる。

4の左下に、そびえる山(複数)が見える。山は、イニシエーションを象徴している。
又、左側の高く掲げられた松明は、錬金術を通して、魂の進化に努力する事を表す。
我々の内なる闇を、光によって征服する事である。
右側の槍は、アデプト(帰依者)を表す。
松明と槍は、それぞれ交差して、闇の力の攻撃からの防御を示している。

九段の梯子の頂上では、夜明けを告げる雄鶏が、意識の目覚めを促すために鳴いている。
雄鶏は又、性の力の象徴でもある。
性エネルギーは上昇(性エネルギー昇華)させて、意識の聖なる目覚めに役立てる事ができる。

3で聖なる母が剣を振るパワーは、上昇し、昇華させた、我々の性エネルギーである。

花も植えられている。
これは、美徳を得るための仕事(ワーク)を始める事であり、またチャクラを開花させる準備を始める事も指す。
下にあるのは払子(ほっす)、あるいは叩(はた)きであろうか。
我々の内にたまったチリや、オーラに付着した、ネガティブな想念を払い落とさねばならぬ事を示すものである。

雄鶏の励ましに応じて、鳩(聖霊)が、意識の目を通して入ってくる。

イニシエーションは「決断」によって始められる。
他からの強制によっては始められない。
聖なる動機と、自己の決断が同調する時、我々は図4へと引き上げられる。

中央で輝く聖なる十字架とイエス・クリスト。
クリストの神秘の一つであるINRI。これ(INRI)は、火の神秘と関係する。
頭上の紙片は、「人類への献身」を誓う、神との誓約書であろうか。
心からの献身が、我々と神々との結びつきに必要である。

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【図5

聖霊は別の見地によれば、クリスティックなエネルギーである。
イニシエーションの一歩を踏み出す時から、多くの試練が始まる。
イニシエーション以前であったならば、多くのエネルギーを無駄にしても、それはエゴに負けた愚かさであった。

しかし、この段階に来ると、例えば侮辱されたり、虐げられるような状況に直面したとしても、怒りや悲しみに身を任せる事はなく、
また心くじける事もなく、心のバランスを取る事を課題として、それらの状況を強く生きる事を求められる。

「最悪の逆境が、最善の機会を与えてくれる」

苦難の状況が与えられた時でも、引き下がる事なく、その課題に挑戦する事を求められているのである。

最近映画にもなった、
M・エンデ作「ネバー・エンディング・ストーリー」の中にも、試練を生き抜く為の、多くのメッセージが含まれている。

 

心のバランスと意識の目覚めは、深い関連がある。
意識を目覚めさせておく為には、多量のエネルギーを蓄えておく事が必要である。
別の言い方をすれば、エネルギーをエゴに盗まれないように、常に警戒し、その上、蓄えのできるエネルギー形態に変換(性エネルギー昇華)させなければならない。

クリスティック・エネルギーは、どこに蓄えておくべきか。
頭脳まで上昇させた後に、まさに清められた心臓に蓄えるべきである。
そしてこのエネルギーは、魂を輝かせる為に用いるのである。

思考においても、エネルギーを無駄にしない事が必要である。

「ネガティブな思考や、害を及ぼす考えを、真に自分自身で考えているのだと信じ込み、それらを自分と同一視する(それらのネガティブな
思考に流される)事は、全く馬鹿げた事である。
エゴが、そのネガティブな思考の原因である事は、明らかである。」

 

クリスティックなエネルギーが、無駄に費やされる事が無ければ、聖霊は大いなる輝きとなって、上昇する。
上昇の道は、我々の中心経路である脊髄である。
光の上昇は、勝利の行進である。

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【図6

勝利の後におごり高ぶる時、本来の目的を失い、苦汁をなめる人々が多く存在する。

「高みに至った人ほど、慎み深く、謙虚であるべきである」

再び凶暴な悪魔たちが、ハートを目がけて誘惑と攻撃をしかけてくる。
仏陀が光明を得る前に、無数の魔障と出会う「降魔成道」の話と同じである。
警官が、ハートの左脇を刺している。カルマによる苦しみにも耐えなければならない。

あらゆる誘惑に勝つ時、初めて真の自由を得る事ができる。
頭上の天使は、ハートの人物が進歩した事を証明しているのであろうか。

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【図7

クリストが十字架から降りている。内なる復活がなされたのである。
父―子―聖霊の三位一体が成就し、ハートの内から、かげりがなくなっている。
三位一体の成就は、はるか天空で成されるのではなく、我々のハートの内で、実現可能であるというメッセージである。

 

ハートの人物の顔は、愛と威厳に満ちている。
このハートこそ、完全にバランスの取れたハートであり、我々の目指すべきものである。

ハートの外には一方に天使がおり、他方に悪魔がいる。
この世界から、悪魔がいなくなるという事はない。
我々が上昇する為には、その存在が必要なのである。
悪魔の仕事は、我々が光に向かうならば、それを妨害し、我々を引きずり降ろす事である。
「聖アントニオの誘惑」の伝説中のアントニオに絡みつく怪物のように。
それに打ち勝つ時、我々は試練(テスト)を通過する。
その時、魂は祝福される。
法は、愛ある法である。
我々は努力を要求されるが、しかし克服可能な試練が与えられているはずである。

これらの図版の作者は、次の事を我々に訴えているように思われる。

「悪魔によって荒廃していたハートさえ甦り、父の住み給う宮となる事が出来る。
我々の人生は、大いなる試練の学校である。
我々は、この機会を生かさなければならない。」

 

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