玄道至極の密訣 生霊鎭祭の秘義 

  

註 生霊はセイレイと訓む。俗にイキリョウといふ意に非ず。

生霊とは造化天神より賜はりたる本魂(天之御中主の分霊)と体魂の合したるものにして、
此の生霊に魄霊を加へて通常 我が霊魂を謂ふ。
即ち生霊は我が霊魂中より陰神系の魄霊を除きたる陽神系の神霊にして、
一に神仙道を霊魂凝結の道と称するも、この陽神たる生霊の凝結を意味し、
凡そ幽冥に応じて霊感し、神仙に通じ、分魂して神境に至り、遂に生を神仙界に転ずる等みな此の生霊なり。

生霊鎭祭とは我れ自ら我が生霊を鎭祭し、以て陽魂の凝結と増大、
魂徳霊感の発揚、霊胎の長養を全うするところの玄法でありまして、
現に神仙界に於ては人間界出身の神仙(肉転の仙と謂ふ)は、
此の法によりて年に六度は自らの生霊鎭祭を行うのでありまして、
既に仙階を得て、神仙の境に進みたる真人に於てすら己を持すること斯くの如くであります。

(尤も其の施行法に於いては神仙等の行ひ給ふと、現界道士の行ふところの法とは若干の異るところでありますが、
之はその位地と境界の相違によるものであります。)

 

一、凡そ神仙霊感の法を修するに二面あり。
   其の一つは専ら修練の功を積みて遂に玄妙の域に至ること之を譬ふるに
   恰かも武道の鍛練によりて技神に入る至妙の武徳を具ふるが如くでありますが、
   其の二は祭祀の道によるもので、此祭祀法は直下に神界の実相に応じ幽顕貫通の実証に即応するもので、
   斯道に最も祭祀を重んずる所以も実に茲に存するのであります。

一、帰幽者の霊すなわち幽魂の鎮祀に就いては人みな知るところの如くであります。

   恐らく道士と雖も初聞にして奇異の感を抱くものの如くでありますが、
   実に之れ我が神仙道の要訣中の要訣で、深遠なる幽理に出づるものでありまして、
   其の例証を我が神典に求めまするに、大己貴神(大国神)が自らの幸魂奇魂を大和の三諸山に鎮祭し給ひて
   是より大いに魂徳を(三皇内文・上天神通符・太玄生符)
 発揚し給ひ、
   遂に大物主ノ神(物は霊(モノ)の意、即ち万霊の主たる大神)と成らせ給いし伝承に照らしても之を知るべく、
   また此時、大己貴神の御分霊たる幸魂奇魂が、「善く我を祭らば相共に作り成さむ、然らざれば成り難からむ」
   と曰へる玄旨は極めて深秘でありまして、若し大己貴神にして自から生霊を鎮祭し給ふこと無かりせば、
   万神万霊を率(ヒキ)ゐ給ふ大物主(大霊主)てふ霊威の大神仙と成らせ給ふこと難かりしと拝察されますので、
   奉道の士は深く此の御縦迹に神習ひて大己貴神の本魂の真一も、我が本魂の真一も、
   同じ造化大元神の真一の分霊にして、もと之れ同根同性なることを神悟し、
   我れ亦神に出で神に復すべきの玄理と実相を深思せば、茲に古神道の奥儀・玄道の密訣に逢着し得たる道縁の荘厳に
   粛然襟を正すの感を覚ゆるのであります。

   因みに此大己貴神即ち大物主神は仙家に謂ふところの太真東王父に坐すので、
   玄道に此法の伝承ある所以も窺ひ得らるるのであります。

 

一、また道書仙経に之を見るに、斯道の要諦たる真一訣に玄一之道を謂ひ、
  抱朴子は「玄一ノ道マタ要法ナリ、真一ト功ヲ同クス、玄一ヲ守ルハ真一ヲ守ルヨリモ易シ」と説き、
  玄一を謂ふは玄胎に生霊の転入したるを謂ふので、
  この玄一こそ霊寿を得て千万年と雖も顕幽を生き通す我が神霊仙胎そのものでありまして、
  玄一の玄は玄胎の意、一は生霊の意で宇宙大元霊
  即ち太一真君天之御中主神の真一を生霊の本体とする故に
  之を玄一と名づくるのであります。

  「人能ク一ヲ知レバ万事畢ル」と謂ひ
  「人ハ一ヲ得テ以テ生キ、神ハ一ヲ得テ以テ霊ナリ」といふは
  我が本真の生霊の尊きを謂へるもので、
  宇宙大元霊の分霊(サキミタマ)たる我が生霊を鎮祭して其の霊徳を道養するの玄意を爰に見るべきであります。

  また一ヲ守リ真ヲ存セバ乃チ能ク神ニ通ズ」
  「子、(シ)長生(仙胎不死之道)ヲ欲セバ一ヲ守レ」「能ク一ヲ守ラバ、一モ亦タ人ヲ守ル」
  ここに一といふは真一の生霊たる玄旨に照し、
  之は、長生不死を欲せば生霊を守れ、能く生霊を守らば生霊も亦た人を守る、
  生霊を守らば真一存し乃ち能く神に通ずの意で、
  其の「一ヲ守ル」
  即ち生霊を守るの玄法中の宗法といふべきが此の生霊鎮祭法であることを
  微言いたしおく次第であります。以下略

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