美甘政和

(みかも まさとも - 天保己未6年〜大正7年12月19日)は、美作一宮の中山神社神官。
楽天翁と号す。幼名は與一郎。後に政和と改名。
著書に『天地組織の原理』全5巻『國幣中社・中山神社考』『魂神氣の弁』他数冊の論考がある。

先祖は播磨国村上源氏赤松姓の支族笠常陸介の末裔である。
自然や石をこよなく愛した政和は自ら玩石翁とも号していた。

(肉筆短冊)

【略歴】

美甘政和は1836年4月24日美作国湯原村に生誕した。
氏族の出で幼少より学を好み筆冊を楽しみとし、又若き頃より嗜んでおられた政和の和歌には定評がある。
二十歳前後の頃には、黒住宗忠の思想に影響を受けられ入門されておられる。
二十七歳の頃に、国学者の大国隆正翁と邂逅し、拝聴する。
この出来事が政和のライフワークを決定させる切っ掛けになる。

壮年の頃より、本居・平田両先哲の遺教を信奉し、神代の遺傳を講義する。

明治4年岡山県に鎮座の国幣中社中山神社の権宮司になり、明治12年出雲大社教に属し、社務の傍ら布教に従事した。

明治13年中山神社を辞す。明治15年7月太政官より権少教正に補される。

明治30年に再び中山神社宮司に任ぜられる。

明治42年老齢の為中山神社を辞す。

大正7年12月84歳の高齢を以って帰幽す。

【天地組織之原理について】

美甘翁のライフワークとも云える「天地組織之原理」全5巻和綴じ本の初版本は明治23年〜明治25年にかけて、
美作国西北條郡津山町に当時所在した神典研究会事務所より発行出版されている。
第1巻巻頭の題字は、嵯峨院の宝庫に蔵する、和気清麻呂公の真筆『我獨慙天地』及び平田篤胤大人の染筆和歌を、同じく臨寫して、
巻首に掲げておられる。
さらに明治22年12月に講述した其の筆記を先哲の神霊に奉り、この文面を浄書されて緒言として挿入し、自著の序文となされておられる。
この間の経緯を子息光太郎氏は後に回想し、次のように述べている。

『父が多年古事記研究に薀蓄せし所を記述せんと着手せしは、明治20年頃で、家計上最も困難の際であった。
明治13年に中山神社を辞してより、殆んど一定額の収入はなく、いずれの国何れの世でも、宗教に身を委ねし者は、生計困難であるが、
出雲大社教も創業の際ではあるし、殊に貧乏を標榜してをる神道家の家計ときては、憐れ至極のものであった。

此の間に処しては、父は一意専心熱狂的に筆を執り、疲れゝば昼夜の別なく眠るし、覚むれば夜中でも起きて机に向うた。
1,2巻の清書は門弟宅で門人が父の傍らで筆記せられ、3巻以降は父の親友にして保護者たりし豪農の別荘で、
やはり門人の一人が筆談の労を取られた。

出版にさいしては、その親友の豪商が大半の費用を援助された。
無資力の父が此の大部の著書の出版の功を完し、多年の志望を達成せしは、保護者の友人と門下生の方々の義捐金の御蔭であると
感謝の意を吐露致しておられる。』

自著を出版する迄には、大変な御苦労があった事がこの文面からも窺えるのであるが、まず第1巻を明治23年10月18日に印刷にまわし、
製本は11月1日迄に済ませて出版している。
第2〜3巻は翌年の7月8日に印刷し、7月10日には出版して頒布されている。
第4巻以降は明治25年10月15日に印刷10月20日に出版、第5巻を同年の12月25日に印刷し、12月28日に出版している。
部数は150部の限定出版であり、当時この希書の存在を知る者はほとんどいなかった。

美甘翁は大正7年12月19日に逝去したが、生前政和大人と親交のあった者や、或いは、親しく大人の高教を蒙った門弟、
有志達が同志会を結成して、昭和4年9月23日には天地組織之原理全5巻の再版をコンバクトサイズの勾玉をあしらった洒落た装丁の製本で
一冊の合本にして1,200部限定印刷に付している。

美甘翁の著述は、殆んど霊夢と神告とによって会得なされた処が多いと言われているが、再版天地組織の原理を出版するに際し、
昭和4年10月26日、故美甘翁と最も縁故の深い作州苫田郡一宮なる神域の神宣山塋域に於いて恭しく再版本1200冊を墓前に捧げ、
之が完成の報告と奉賽をして祝典を挙げ奉告祭の祭典を執り行っておられる。

その折に参列者に配布された趣旨書の賛同の芳名簿には、出雲大社宮司千家尊統や 管長の千家尊有の名前が連ねられてあり、
また神戸の大社教支部から再版本・天地組織之原理の書籍取次ぎをされておられる事からも、
大社教が美甘翁と繋がりの深かった事を窺い知る事が出来る。

【古事記考察の動機】

若き頃は黒住教や出雲大社教に入信していた時期もあるが、文久元年27歳の折、政和は縁あって播州林田の河野鐡兜翁の塾生となり
日々和学の研鑽に励んでいた。

3年後の30歳の頃に、客人として来遊された津和野の神道家大國隆正翁と塾内で邂逅し衝撃的な影響を受ける。
この邂逅が後に政和に神典講究の切っ掛けを与える事となる。

それ以後は古事記に魅せられ、書肆に並べ置かれたる神道書類、特に古史傳や古史徴並びに開題記などの和本を購い繙き、
平田篤胤翁の偉大さを知るに及び、やがて平田学の思想に傾倒して行く。
此の時期には平田先生が書かれた短冊や久延彦の神像を奇霊な縁によって大田朝恭から授与されている。

やがてこの出来事が動機となり、以後頓に神典研究の着眼一変し、自著天地組織之原理を書き成す事が出来たと言われている。
ある意味で嚆矢とも言える古代研究に於ける篤胤の論考は、本居宣長翁の『古事記伝』や服部中庸翁の宇宙観『三大考』などの思想から
啓発され、これらの文献や古典(記・紀)などを参考に篤胤独自の解釈による古史傳を推敲し二十八巻半ばまで出来上がったが、
志半ばで未完のまま逝去され、後に門弟矢野玄道に継承されて三十七巻まで完結されている。

篤胤門下の弟子達の話によると、「平田先生の敬神は堂に入っており、八百万の神々を斎まつり、あたかも神々が目前におられるかのように、
日々厳かに朗々と祝詞を奏上しておられたが、中でも事の外、先生自らが描かれ画賛辞を詠じて書き込み軸装にした久延毘古の神像を
実に大切にされておられた」との事である。

門弟たちに篤胤は常々、私はこの神を祭ることによって、初めて古代研究の着眼が一変し、古史傳を完成する事が出来たと述べている。
のちに門下の大田朝恭がこの尊図を拝受し、この案山子の絵図を美甘翁の下に授けたのも、単なる偶然とは思われない。

【著述主旨】

この五冊の本は、神の代の傳への誠を説きわけて、神路にかえる道しるべとせんと美甘翁は説明していた。
また「わしの著述は少なくとも五百年を俟たねば其の真価は顕はれて来ぬであろう。
其の時に至り世人は五百年前にこんな事を預言して居た人があるかと定めて驚くことであろう」と豪語した。

美甘翁が壮年の頃より、終始一貫して神典の研究に打ち込み、生涯心血を注いだ「天地組織之原理」は天地創造の真理を解き明かした
驚嘆の神道書で、神秘を穿つ霊学の書でもある。
全巻を開闢第1期〜第5期に分けて解釈し、神典の中に書き表されている秘儀を、神代に於ける造化の五大変遷史として、
解き明かした貴重な書物である。

【親交】

政和翁の末孫の方々は現在も医師として活躍されておられる。
子息の一人光太郎氏の話によれば、

「父の嗜好は青年時代は書であった。
また日々読書と思索を楽しみ晴耕雨読を実践しておられた。晩年は石を愛し、名勝や旧跡に至るや、必ず記念として、
その土地から少しでも形の変わった小石を拾って持ち帰った。
自然の姿をこよなく愛で何事に対しても淡白で欲がなく、日常がまさに仙人のような実生活であった」
と回想されておられる。

仙風をおびた美甘翁が、後に神仙研究家でもあった宮中掌典の宮地厳夫翁と交流があった事は、必然的な邂逅でありましょう。
自著を上木されるに際しては、厳夫に序文をお願いしたが、厳夫は謙り到底自分の如き者の序文を付すべき次第にあらずと、
固辞して鄭重に断った経緯がある。

厳夫翁は大正7年に逝去したが、同年12月に美甘翁も逝去した。

【「天地組織の原理」再版趣旨より】

幕末から維新にかけて天下の風雲急なるの秋、眞に惟神の道の蘊奥を究め、天地公道に基づいて「斯くあらねばならぬ」ことを主張した
隠れたる国学の大家が作州の天地に於いて活躍された。
活躍とは言うものの、それは決して談論風発東西に奔走して同志を糾合したというほどのことではない。
悲歌慷慨、徒に天を仰いで長大息を洩らして居たのではない。
唯之れ清廉自ら任じ、謙恕己を処し、貧約束の裡活暢、道を楽しみ黙々として富貴栄達を超え、時に寝食妻子を忘れて「神典」に講究に
只管(ひたすら)没頭し、遂に久延彦の神のちわいをうけ得つつ、尋ぬる人のあらば答えんとの確信を以て記紀両典の秘奥を尽くし、
而も厳然先哲の説を抜いて一家の見識を樹て之を説くに親切丁寧、郷閭の後生を導いた講案の結晶「天地組織の原理」全五巻を大成した。

神の代の伝えのまこと説きわけて、神路にかえる道しるべせん と。

斯くて完成の時、
「わしの著述は少なくとも、五百年の後を待たねば、其の眞價は現われて来ないであろう。
が、其の時になって世間の人は、五百年前にも、こんなことを預言して居た人があったかと、定めて驚くことであろう」
と、毅然として大自信を声明した。

美作国湯村の産、幼名興一郎、後、政和と改められた美甘大人こそ、実に其の人であった。

大人の神道観は、素より其の師、大国隆正翁に受くつ処多大であったが、美作一宮中山神社に奉職中の如きは、殆ど霊夢と神告に依って
会得された処が多い。
記紀、殊に神典「古事記」の神秘を闢いた鍵鑰は、寧ろ之にあって彼にあるのではない。
宣なり、本、平二家先哲の尚お説き得なかった難問も、大人の博識と論断との前には釈然として氷解するものの多かったことよ。
若し夫れ大人にして中央乃至は京洛の地に於いて家学を張るものあらば、恐らくは其の名を天下に馳するものがあったであろう。

「天地の原理」の内容に就ては、各位の高覧に任せて、今茲(ここ)に架説する事を、敢えてせない。
唯、大人が学究の態度、後生誘致の親切が前掲国風に現われた眞情にあることを諒せらるれば十分である。

本書は大人在世中に一度上梓されたのであったが、常時わずかに百五十部の少数に止まり、五巻分冊であったが為に、
今日之が全巻を蔵するものも少なく、多くは端本となって居た。
斯道の為将学界の為、吾人は之を憂うること久しかった。

吾等後生、或は大人と親交ありし、或は親しく大人の高教を蒙ったものの有志相胥って、如何にして全巻を綜合し、再び刻厥に附し、
道を愛し道を憂うるのは同志に頒つことを得ば、一は以て斯学の進運に貢献し、一は以て大人在天の神霊に対して報恩の至誠を
捧ぐる所以の途ともなろうと考えた。

否、再版の目的は、決して此の二者には止まらない。
今や国民の思想は、乱調困惑に陥って居る。
恐らくは、現代の国民思想状態は、民族あって以來、未曾有の頽廃を來して居るのではあるまいか。

動もすれば、外來の新思想に溺惑し、我が国固有の優秀なる国民性を軽侮し、本末を誤り、冠履を傾倒し、
遂に金甌無けきの国体をも顧みざらんとすものあるに至り、邦家の前途深憂に堪えぬものがある。

此の秋に方って大人が純眞清明の心底から、淡々として燃ゆるが如き愛国の熱情から、殆ど天啓とも謂うべき論断を降した
神典の解説本書を公刊して。同志の一粲に供し、更に同志を通して広く「天地組織の原理」を国民大衆に敷行せらるることを得ば、
或は現代思想の頽廃を矯正し、其の混雑を匡救し、以て善導の効果を収むるの一助たらしむることを得ようか。

蓋(けだ)し、「天地組織の原理」は「社会組織の原理」であり、「社会組織の原理」は「国家組織の原理」であり、「国家組織の原理」は
世界万国の祖国たり本国たる我が皇国の胎生、発展永続の原理であるからである。

国民教化訓育の緊切を痛感する時、吾人をして此の挙に出でしめられたのも、或は幽冥の神霊が導き給うた摂理とも想われて畏い。

大人は斯くて顕幽共に此の偉大なる神霊の活躍を継続されて居る。
大正七年十二月、八十四歳の高齢を以て帰幽された没後十一年、漸く幽契によって本書再版の宿望を達する事が出来た。
洵に吾人後生の欣幸とする処である。

乃ち昭和四年十二月二十六日、大人と最も縁故深き作州苫田郡一宮なる神宣山の塋域に於いて、恭しく再版本一千二百部を墓前に捧げ、
之が完成の奉告と奉賽の祀典とを挙げ、以て聊(いささ)か報本の誠をいたし、反始の礼を尽くさんとしたのである。
而(しか)して貴下の案上に呈するものは、実に其の一部である。
ねがわくば吾人後生の微意の存する処を諒せられ、清覧を賜わらば幸甚である。

 

 【神術玄妙の幽理】

すべて地球には奇成の神の御神體を除くの外は 万物皆其の元種ありて、順を経るに非ざれば一器物も成ること無し。
之重濁なる物を以て造り玉ふが故なり。

(吾古伝に拠れば伊邪那岐伊邪那美命は万物の大元種子を起こし玉ふ大神にして體生の道を始め万物種子の道は
此の両神に始まりたるものにて万物の大元種とも申すべき大神なり。)

之に反して天津国に於いては多く玄妙の神術によりて即時に物を成し玉ふ。
之れ極精物を以て成し玉ふが故なり。

(其神の神體の奇成に坐すと共に其神の御上に自ら備はりあるものにて、天津国にては神等のみならず、
皆冥々の中に皇産霊神の霊徳を以て造り成し玉ふなり。
此の 幽理は他の道理より推すべきものと違ひ玄妙の神理を窺ひ奉るに非れば言論の及ぶ限りには非ず。)

後世に至りて仙術を行ふものは、或いは笠を投じて身と化し或いは杖を投じて橋と成す等の奇術あるは、
此の幽理玄妙 の神術より起りたるものにて、人智の外の幽理なり。
時流学の人に於いては斯くの如き玄妙のことに至りては 善悪正邪をも別たず一向に虚談怪談とのみ思ひ一言の下に
之を論破せんとするが如き説多けれども、天地造化の真理に至りては、人間の知力及ばざること多きは眼前に明らかなることに
如何なる知力ありとも一草木と雖も其の実物を造り出す如きの玄妙の神術は有べからず。
然るに天地間玄妙の幽理無きものとすれば何物か万物を造り出さん。

これを疑ふは夏虫の氷を疑ふよりも甚だしと云ふべし。
此の玄妙の奇術は後世の人間には伝はらざることなれども、仙術も行ふものは自ずから此の妙術の幾分を得るなり。
然れ共玄妙の術にも善悪正邪ありて、善神の行ひ玉ふは正にして善なり。
悪神の行ふ所は邪にして悪なり。人間多く此の正邪を分別するに迷ひ邪悪の妖術に犯さるるもの少なからず。
故に神伝に随て其の正邪を常に弁ふべきなり。

=天地組織の原理より=

 

 

 

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