(パレンケの遺跡)

密林に遺された摩天楼

マヤ文明消滅の謎に迫る!!!

 

中央アメリカに点在するマヤ文明の遺跡群は、はるか紀元前の昔から、繰り返し興亡を重ねてきたことを物語る。
驚くべき高度な天文知識や、建築技術を持ちながら、なぜ、彼らは滅びねばならなかったのか?
そして、マヤ暦が予言した、驚愕すべき事実とは!?

 

【相互に関連していたメソアメリカ文明】

神秘と謎に包まれた、失われた古代文明、それがマヤだ。
密林に点在する都市遺跡からなるマヤ文明は、各都市が独立して突如生まれ、突如滅んだと言われてきた。

しかし、ここ数十年の調査・研究により、難解なマヤ文字も少しずつだが、解読されてきた。
そして、マヤ文明は、決して独立してあったのではなく、中米中心部(メソアメリカ)に栄えた文明の一つとして、周辺の文明とも相互に影響を
与え合いながら、存在していたことが明らかとなったのである。

というのも、メソアメリカに栄えていた幾つもの文明には、ピラミッド建設、
260日暦と365日暦、20進法、球戯、トウモロコシを基盤とする生業体系など、多くの共通の文化要素が認められるからだ。

しかし、マヤ文明は、どこよりも発達した文字と、優れた天文知識をもっていたばかりか、建築や土器生産などにおける芸術性においても、他の文明を寄せ付けない。
それは、奇跡の文明といってもいいほどなのだ。

 

メソアメリカ最初の文明は、メキシコ湾岸一体に栄えた、オルメカ文明で、紀元前12世紀頃から、紀元前後まで続き、この伝統は、やがてマヤ文明に受け継がれる。

一方、メキシコ中央部の高地では、メキシコ市周辺に巨大なピラミッドを持つ大都市ティオティワカンが、紀元前後に出現。
それは、
4世紀から5世紀にかけて、マヤを含む、メソアメリカのほぼ全域に影響を与えたが、700年頃に謎の滅亡を遂げた。
その後、いくつかの文明の興亡を経て、後にスペイン人によって滅ぼされる、アステカ文明の時代が、
13世紀から始まる。

また、メキシコ市の南にある、オアハカ盆地では、紀元
500年頃より文字が記され始める。
ピラミッドを中心とした広大な都市、モンテ・アルバンを中心として、サポテカ文明が栄えたが、
900年頃に滅んだ。

 

【興亡を繰り返したマヤの巨石都市】

では、ユカタン半島を中心に栄えた、マヤはどうだったのか?
マヤが文字を持ち、高度な文明を築き始めたのは、紀元前
3世紀頃と言われる。

中部地方のティカル発見された、一番古い石碑には、西暦に換算して292年という年号が刻まれていた。
以後約
150年間は、中部のティカルを中心とする限られた範囲内でしか、文字は使われなかったが、5世紀半ば過ぎには、北部にチチェン・イツァが興り、ほぼ半島全域に広がるようになる。

しかし、9世紀に入ると、ユカタン半島中・南部の都市は、急激に衰退しはじめる。
その始まりは、パレンケ周辺。
そこから東に向かって、ヤシュチャラン、ティカル、コパンと中・南部の都市はすべて放棄されてしまう。

一方、北部の都市は滅びることなく、その後も栄え、9世紀にはウシュマルやカバーが勃興。
一時放棄されていたチチェン・イツァも
10世紀に再興され、マヤ文明は最盛期を迎える。

だがこれらの都市も、結局は11世紀以降に徐々に放棄され、1441年にマヤパンが、次いでトゥルムが崩壊するや、北部の都市文明も終焉を迎える。

都市建設と放棄を繰り返す奇妙な文明の住民達は、いずこへともなく消え去り、すべての都市遺跡は、密林に覆われて沈黙につくのである。

確かに、スペイン人が征服を開始した16世紀にも、マヤ人たちの国家はあり、長期に渡る抵抗を続けた。
が、彼らには、かつてのマヤ文明に見られるエネルギーはなかった。
放棄された都市文明を担った人々は、一体どこへ消えたのだろうか……。

しかしながら、この謎を解く手がかりは、わずかだが残されている。
それは、マヤで驚異的に発達した、天文学の知識であった……。

 

(魔法使いのピラミッド)

【驚異的な天文知識を持ち、複雑な暦を操る】

彼らは、天体の運行の周期を、極めて正確に割り出していた。

例えば、太陽の運行周期は、現在知られている実際の周期と、わずか17秒しか違わない。
3652422日を、マヤは、3652421日まで計算していたのだ。
また、月齢の周期
2953059日は、2953086日にまで、更に金星の運行周期、58400日は、58392日まで求めている。

望遠鏡もない時代に、彼らはどのようにしてこれらの周期を、正確に計算し得たのであろうか。

チチェン・イツァには、マヤ人が天体の運行を観測したとみられる、天文台が残されている。
カラコル、すなわちカタツムリと呼ばれるその建物は、他の遺跡と違って、
360度の全天空を見回せるように、円形に作られているのだ。
マヤの人々は、この中に座り、四角い覗き窓の対角線を利用し、各天体の動きを観測したと推測されている。

が、このようにして天体の周期を正確に求めるには、200年以上に渡り、絶え間ない観測が必要であると、現代の天文学者は指摘している。
何という努力か!

そればかりではない。
同じチチェン・イツァにある、カスティーヨと呼ばれる美しいピラミッドには、高度な天文知識に基づいた、巧妙な仕掛けが施されているのだ。
年に
2回、春分の日と、秋分の日の2回、光のヘビが姿を現すのである。

その日の午後、階段の側面に当たる陽光が胴体を描き出し、ピラミッドの階段最下部に刻まれた、巨大なヘビの頭部に連なる。
こうして姿を現したヘビは、太陽の動きに合わせて、胴体をのたのたさせて、やがて消えていく。
何と壮大かつ、不思議な光景であろうか。

更に、ピラミッド事態も、巨大なカレンダーとなっている。
四方に作られた階段の段数は各
91段。
その総合計と、土台の
1段の数を足せば、一年間の365となる。
また、ピラミッドは
9層から成り、正面から見ると、階段の両側に9層ずつで、合計18層。
これは、マヤの一年間が、
18ヶ月であることを表している。
更に各層に作られているくぼみの数の合計は
52
それは、マヤの暦の組み合わせが、ちょうど一周する年数を示している。

複雑な暦に基づいて築かれた精巧な建築。
それは、天文学の深い知識がなければ、到底生まれないものばかりである。

 

(チチェン・イツァ遺跡の代表的な建造物、カスティーヨ)

 

【ぷっつりと跡絶えたマヤ文明の足跡】

ではなぜ、古代マヤ人は、天文、すなわち天上の世界に、それほどまでに固執したのであろうか。
その理由の一つは、熱帯雨林の気候にあったと考えられている。

カバー遺跡の壁には、象を思わせる長い鼻を持つ、異様な神の顔が一面に飾られている。
これらは、マヤ独自の雨の神、チャックの顔だ。
乾季に彼らは、雨が降ることを、チャック神にひたすら祈ったのであろう。

ご存知のように、熱帯雨林では、乾季と雨季があり、一年の半分は雨が降らない。
が、雨季になると、一転して強烈な雨が降り、大地を容赦なく洗い流す。
こうした不安定な気候は、集約的農業や、安定した社会生活を妨げていた。

もしかしたら、彼らは激しい気候の変化の謎を解明するために、天体の運行を執拗に調べたのではないだろうか。
そして、こうした天文知識に対する知的探求心が、一年の間に雨季と乾季が繰り返し、天体の運行にも周期があるように、世界もまた、何年かおきに繰り返し起こっては滅びる、という哲学にまで発展していった可能性は、十分に考えられるのである。

というのも、この滅びの哲学を運命として受け入れていた証拠として、マヤ文明消滅の直前における、イツァ族の行動に、実に興味深い事実が認められるからだ。

当時、マヤは長期暦と短期暦という暦を使用し、それを組み合わせて、約265年周期で巡ってくる、"8アウハ・カトゥン"というある期間を、非常に特殊な時として考えていた。

スペイン人が、マヤへの侵攻を開始した際、彼らは最初にキリスト教への改宗を迫ったが、イツァ族の王カネックがこう言って、彼らの圧力をはねのけている。

「我らの神官が予言した。
我らの神を捨てる
8アウハ・カトゥンには、まだ間がある。
その時まで待って、またお越し頂きたい……」

その後、スペイン軍がイツァ族を征服するまでには、長い歳月を必要としたが、それが完了したのは、8アウハ・カトゥンという、まさにマヤ暦が予言する滅亡の時が始まる、わずか4ヶ月前のことであった。

この時イツァ族は、まるでその時期を待っていたかのように、さしたる抵抗も示さないまま、逃げ去ってしまったという。

驚くべきことは、そればかりではない。
このイツァ族の歴史は、そのすべてが
8アウハ・カトゥンという周期に合わせた、都の放棄史でもあったのだ!

@692年/チチェン・イツァ放棄。

A948年/チャカン・プトゥン放棄。

B1204年/再びチチェン・イツァ放棄。

C1461年/マヤパン放棄。

D1697年/スペイン征服。

勿論これは、歴史の偶然なのかもしれない。

が、その運命の時が来ると、彼らは自らの都を捨てて、新しい天地を求めて移動していった可能性は十分にある。
文明の終焉法則を暦に見つけ、それを素直に受け止めて、自ら都市を放棄する。
そして彼らは消え去った。

今から500年前、スペイン人たちは、カリブ海に浮かぶ帆船から、初めてマヤ遺跡トゥルムを見た。
ここはまた、古代マヤ文明の最後の足跡であり、最後の輝きでもあった。

海辺に築かれた都市を後に姿を消した彼らは、どこへ向かったのであろうか?

マヤの都市遺跡は今も沈黙を守り、密林の中にたたずんでいる。

 

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