(ホチョブの神殿の前面)

古代マヤ文明の謎の遺産

 

太陽の国メキシコの首都は、鮮烈な色彩に溢れかえっていた。
美しいレフォルマ大通りを西に向かうと、広大なチャプルテック公園が広がる。
木々が立ち並ぶ公園の中に入っていくと、道路の右手に、巨大な石像が見えてきた。
水の神のトラロック、これがメキシコ国立人類学博物館を訪れる者にとって、絶対に見落としようのない目印になっている。

高さ8メートルもあるトラロックの像を横目に見ながら、メキシコ建築のモダンなスタイルの博物館へと向かう。

ロペス・マテオス大統領の時代に建造されたこの博物館は、125000平方メートルに及ぶ敷地を占めている。
建物だけでも総面積は
44000平方メートルに達する。
全部きちんと見学していれば、到底
1日では回り切れない。
そこで今回は、同館のマヤ宝を重点的に見て回ることにした。

 

古代アメリカでは、幾つかの文明が盛衰を繰り返していたが、その中でも、アステカ、インカ、マヤは、三大文明と言われるほど有名だ。

ただ、15世紀にヨーロッパ人が初めてアメリカに到着した時には、マヤ文明はすでに最盛期を過ぎていた。
古代アメリカの三大文明のうち、ヨーロッパ人に侵略されたわけではないのに崩壊してしまったのは、このマヤ文明だけなのである。

それ以来、マヤ文明を巡って、数多くの謎が論議されてきた。

なぜ、金属器や車も用いずに、壮麗な神殿ピラミッドを建造できたのか。
現代人でも驚かされるほど高度な天文学や暦、数学を駆使できたのはなぜか。
どのようにして交通手段を確保し、熱帯の密林の中で繁栄を続けられたのか。
そして、なぜ突然、これだけの高度文明の成果を放棄して、忽然と消滅してしまったのか。

こうしたマヤ文明にまつわる謎が、現在、どこまで解明されているのか。
期待に胸を膨らませながら、博物館の入り口をくぐった。

 

玄関ホールの階段を降りると、ジオラマ劇場がある。
それを過ぎると、池のある中庭に出た。
中庭の三方に、古代メキシコのさまざまな文明の遺産を展示したホールが並んでいる。
入り口の丁度向かいにあるのが、有名なアステック・カレンダー(太陽の暦石)が展示されている、アステカ室だ。
博物館の見学者たちの関心も、当然このホールに集中する。

敢えてそれを無視して、中庭左手のほぼ中央にあるマヤ室へと足を進めた。
MAYAと表示された入り口をくぐる。
ガラス張りのモダンな展示室に、少なくとも紀元前
2000年までさかのぼると云われるマヤ文明の遺産が、ひっそりと見学者たちを待ち受けていた。

右手には、碑銘の得点板と推定されているチンクルティクの円盤や、ハイナ島の土偶などを見ながら歩いていくと、コフンチリ遺跡から出土した、太陽神キニッチ・アハウの浮彫があった。
その巨大な顔を見上げているうち、言い知れぬ感動におそわれた。

 

(太陽神キニッチ・アハウの顔、周囲にジャガーと鳥の装飾がある)

 

大小の石碑の並んだ区画に辿りつく。
長方形の平たい石に、人物像や絵文字のリリーフが施されている。
最近の研究によると、その多くは、特定の神官や王の業績を記録したものと判明したという。
マヤ文明の研究者たちにとっては貴重な遺産だろうが、美術品として見ても、充分鑑賞にたえられる。

少し疲れたので、マヤ室の裏手にある庭に出てみた。
澄み渡った青空を見上げて、ほっと一息つく。
この庭園には、カンペチェ州のホチョブ遺跡にある第2神殿を復元したものが建っている。
壁面は、過剰装飾と思えるほど凝っていて、神殿中央の入り口そのものが、雨の神チャクの口になっている。

こうした建築様式はチェネスと呼ばれるもので、マヤ古典期の半ばに素晴らしい発達を遂げたと言われている。

庭園には、その他にも、チアパス州のマヤ遺跡で発見された、有名なボナンパク壁画の復元も展示されていた。
原画は、今や見るも無残な状態だそうだが、リン・ラゾの手になる復元画は、かつて通りの鮮明な色彩で迫ってくる。

再びマヤ室に戻ると、「ウシュマルの女王」と呼ばれる像が目に入った。
ウシュマルにある、有名な魔法使いのピラミッドから発掘されたものだ。

(ウシュマルの女王として知られる、マヤの神ククルカンの彫像)

 

背後の壁には、マヤ系のキチェ族の天地創造神話「ポポル・ヴフ」に題材をとった壁画があり、シネマスコープのように迫ってくる。

その神話によると、人間は4回破壊されてから誕生した。
4度目の破壊で失われた神の知恵と知識がもし取り戻せるなら、きっとマヤ文明の謎も解明できるのだが…。

 

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