宇宙の法を体現した空海

 

 

地上の国々に秩序を保つ為の法律があるように、無限の宇宙にも、"宇宙の法"がある。
私たちの住む太陽系も、その法に従っており、そこにある、それぞれの天体が、高次元と低次元をもっている。

私たちにとって、最も身近な天体である月も、例外ではない。
月にもかつては生命が存在していたが、現在は死に絶え、地獄だけが残っている。
かつて月で生きていた人々の心理(エゴ)を浄化する為に、地獄だけが機能しているのだ。
その汚染のエネルギーが、宇宙全体に浸透しないようにする為である。

地球でも、毎日毎日、何千人、何万人の霊が地獄に行く。
そして、鉱物の中に封じ込められて、洗浄の過程に入る。

だから、一見死んでいるように見える鉱物も、実は生きているのである。
岩や石の中に、退化したそれらの霊が入っているからだ。
もし、岩や石から、このような霊を取り出す事ができれば、柔らかくなるに違いない。
岩や石があんなに硬いのは、凝り固まった硬い霊、サイキスのせいだからである。

地獄の階段を降りて行けば行くほど、心理的汚染の成分が凝縮されて、重い成分となっていく。
アストラル・トリップで地獄に行けば、鉱物界の中に地獄が存在し、各段階があることを、はっきり確かめることができる。

 

私達が目に見える次元での思考方法から脱却しなければ、これらのことは想像することさえも、困難である。
しかし、アストラル・トリップをすることで、これがどういうことなのかと、すぐに理解できる。
それは丁度、一つのボールの中に、封じ込められたボールを、どうやって取り出してよいか、想像できないのと同じことだ。
四次元に行けば、そんなことは造作もない。

 

宇宙の法はまた、私たちを生かしめている法則でもある。
その法が要求することが分かれば、自ずと私たちが、なぜ生きているかも分かる。

「人はなぜ生きるのだ」

という問いは、人間にとっての永遠の問いであるが、宇宙の法を知ることによって、解答が与えられるのだ。

 

今年は丁度、弘法大師空海の入定1150年御遠忌に当たり、それを記念して、「空海」という映画が上映された。

私も、空海という方を大変尊敬している。
日本の生んだ、最高のイニシエイトだと思っている。
特にこの映画には、何か惹かれるものがあって、封切られてすぐ観に行った。
そして、期待は裏切られなかった。

 

この映画の中に、やはり同じ問いかけがある。
深山幽谷で過酷な修行を続けていた空海が、ふと漏らす言葉だ。

「人はなぜ生きるのだ」

それを追究し、追究していって、空海はすべてを知る。
入定する時の言葉によって、彼の至った境地を知ることができる。

 

「別れの時は来た。この生命(いのち)、もともと宇宙の根源、大日如来より頂いたもの。これより大日如来の元へ還る。」

 

そう言って空海は、今生での肉体を捨て去る。
そして高次元へと、絶対太陽(大日如来)の元へ還っていった。
そしてまた、こうも言っている。

 

「私に会いたくば、遍照金剛(へんじょうこんごう)と呼ぶがよい。
必ずその人と共にあり、その人と共に生きよう。」

これが、宇宙の法を体現するということなのだ。

 

この映画は、多くのことを私たちに教えてくれる。
人生の秘密を、これだけ完璧に表現した映画を、私は観たことがない。
まず、シナリオが素晴らしい。
このシナリオを書かれたのは、早坂暁氏であるが、彼は高野山に篭りっきりで、執筆したということだ。
恐らく、弘法大師空海に祈り、その魂を高次元へと近づけてお書きになったことと思う。
それに応えて、高次の存在である空海が彼に、多くの援助を与えたのだろう。

機会があったら、是非見て欲しい。
メキシコ人である私が、これだけ感動したのだから、日本人であれば、更に多くの浸透してくるものがあるだろう。
観た後に、この映画について瞑想すれば、得るものはもっと多くなる。

 

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