宮地神仙道修真秘訣(抜粋)

偽神人偽仙の輩に愚弄された求道士が、遂に業を煮して、其の正志を ち天下必ず仙人無かるべしの嗟嘆を発するに至るは、古今同概である。

私が先人の遺法を剽窃し、自ら神仙界に通じて神授を得たるものの如くに偽装し、擅(ほしいまま)に筆舌に託して高遠に欺き、法を売(かさ)ぐを以て渡世とするの類を、水位先生は最も憎まれた。

 

仙師は実力主義を以て立たれただけに、其の実力なく、且つ其霊統の者にあらずして、隠士神人を擬するの輩が、如何に口頭に雄にして、文飾に巧みなりとはいえ、遂に其道要を乱るのに甚だしきに至ることを、知悉せらるるが故である。

推うに、眞に其の霊的実力を以て神仙道に師家たるほどの達士が、果して当今現存しているであろうか。
頃来著者の手許へ其大先生門人、或は某々先生門弟と称して、御意見を申越さるる向があり、また神仙界なる水位先生が笑ったり、頷いたりせられる謦咳の消息をものとする人もあるやに聞及んだが、此の道には昔から、斯ういう風流にして、悪質なる天一坊的創作家が多いので、道眼模糊たる青襟の求道士が、いつまでも鼻毛をよまれるのである。

言うものは知らず、知る者は言わずというが、何を苦しんで、故(ことさ)らに斯る鰻香的言辞を弄して、何ものかを暗示せんとする擬態を必要とするのであろうか。

創作なれば創作、小説ならば小説と、明確に標題すべきで、事は厳粛なる信仰に繋がる問題であるから、胡乱(うろん)な丸呑み込みを強いるに於ては、畢竟これ道を乱るの賊となりはしまいか。

 

殊に、神集岳信仰とか、高級神仙界の公的御経綸とかに関する課題となると、それが方便上、いかに奇抜にして適切なる構想であり、且つ時勢の動向から推して一見いかにも首肯性に富んだ趣向のものであるにせよ、「正しき神仙界交通の事実」に基かざる「こしらえもの」では、神威を畏れざる邪道の所業である。

「わけ」が判ってみると、「こしらえもの」であったぞよというのが、古今東西偽仙の輩の常套的な身上であるから、油断も隙もならないのである。

碁将棋でもそうであるが、一駒一石の打つ手が読めぬようでは、生涯のザル碁で、人間の審神(さにわ)が出来ぬようで、無形の神霊の審神(さにわ)を云々せんなど、以ての外である。

尚お、肯はずと為す、神人隠士あらば、自ら親しく法験法證を以て、東方斎の審神(さにわ)に付すべしと提言しておく―――。

 

茲(ここ)に、正眞の神仙道を歩まんとする天親地愛なる同信同行の士は、先師水位先生が「異境備忘録」に遺記されたる範囲に於て、純粋無雑なる神集岳信仰の命脈を信持し、以て霊魂千万年の生活に於ける清潔にして整然たる道標を確立護持すべきである。

殊に、濫(みだ)りに神命神示 霊告霊示預言の類を標榜する新興教団の類に迷うことなく、神集岳大永宮に鎮り坐す大御神を始め奉り、紫籍府大司命小司命の神仙達が、日夜吾らを訶護啓導せらるべく、斎(いつ)かれ坐す、伊勢神宮 出雲大社を始め、古来由緒ある名社古社 産土神社を崇敬し、殊に修眞求道の上に於ては、宮地神仙道要義に述べたる如く、親しく先師水位先生を啓導せられし霊統上の神祇上仙に厚く懇請祈念の至誠を捧げ、顕幽一貫の指標を謬るなからんことを期すべきである。

更に、師仙水位先生の御恩恵に至りては、片時も忘る可らずもので、親しく肉身を以て北辰根本神界、神集岳、萬霊神岳を始め、諸神仙境 千百霊界に出入に、其の実見実聞と、高貴なる神祇師仙の直接指授に基く、斯道の玄義を盛られたる御遺稿 御遺法類に至りては、求道上の憲法と謂ひつべきものであり、之をまのあたりに口授をうくるの思いを以て日夜敬読奉行すべきであると信ずる。

 

著者は、多年月に亘りて、具(つぶ)さに斯界の実情を観察し来り、紫の朱を奪うが如き偽仙の輩が、巧みに先師水位先生の御業績を剽窃(ひょうせつ)して、道を高遠に欺き、更に尚お、金殿玉楼に盗心を蔵する不敬不信の言動を敢(あえ)て継続しつつあるに、痛憤措くところを知らず、斯道粛清の為めに、一書を公にせんことを決意せるが、それに先立ちて、純粋無垢なる宮地神仙道の概念を、成層圏上より提唱しておくべき必要を痛感し、倉卒稚筆を馳せて既刊「宮地仙道要義」並に、「宮地神仙道修眞秘訣」を謹輯し、以て其の大意を期した次第であるが、浅学下根の著者にして、却って先師の御遺徳を傷つけ奉らざりしやを憚(はばか)るるものである。

 

希(こいねが)わくば、水位先生御後嗣、宮地美数大人司宰にかかる「宮地文庫刊行会」上梓の全集に収載さるる、先師御原著に依りて御補正を冀(こいねが)う次第である。

 

東方書院

 

ホームへ

inserted by FC2 system