【失われたアステカ・ナワリズムの王道を求めて】
聖なる父と母のふところで 子供達は学んだ
マリナルコの学校に入門を許されるには、予備科目として、数学・天文学・医学・植物学・文献学などの、
いわば教養的な過程を経ていなければならなかった。
ただ、植物学一つとっても、20ページで見たように、我々が学校で教わる学問とは、次元が違うのである。
これらの学科と並んで、神学・祈祷・降雨術・痩身術が予備科目として必須であった事から見ても、その辺の事情が窺えよう。
志願者たちは、希望すれば7歳から初級の学校に入る事ができた。
そこが言わば、予備コースに当たる訳だ。
学校は寄宿制だったので、子供達を送ってきた両親は、入り口で別れを告げなければならなかった。
スペインによる征服の後、スペイン人の僧サアグンによって編まれた貴重な記録、「コディセ・フロレンティーノ」から、当時の様子を窺ってみよう。
息子よ、私たちはお前を産んだ父と母
これからは、本当の魂の聖なる父と母が
お前を育て、導いて下さる
正しい習慣を養い、正しく見
また聴くことができるよう
目を開き 耳を開いて下さるだろう
その方々は
お前たちを咎め叱り
そして教え導いて下さる権威ある方々だ
お前の母は、お前の世話をし
苦労を耐え忍んできた
お前が眠るときも気をつけて
お前の身体から出る汚物を処理し
胸の乳も与えてきた
しかし もう お前は
小さくはないのだから
わかるだろう
ずっと ずっと昔
お前の魂の父と母が約束したことを
この家に住んでもよい、と
この学びの家に住んで、神様と
その子であるケツァルコアトルを愛し
神聖なこの家を洗い
清めに来なさい と
だから私たちはお前を
ここまで連れてきた
これからは お前はこの家の子
これがお前の家なのだ
だから 昔の家のことはもう忘れて
この厳しい修行の家で幸せに暮らし
磨かれ、洗心し、宝石のように輝き
バラのつぼみが開くように
花咲きなさい
強大な人々はみな この家から出たのです
「コディセ・フロレンティーノ」
このように入学した子供達は、21歳になるまで、ここで宇宙の科学や芸術を学び、超常感覚を磨くための訓練を受けた。
21歳になり、基礎的な「知」と「感覚」を身に着けた生徒は、自分の適性と希望に従って、再び普通の生活に戻るか、
または更に深い知を求めて修行を続けるかが
決められるのだった。
修行の道を続行する者は、ここで彫刻や絵画、医学・天文学・あるいはエリートコースとも言うべきナワリズム、
などのいずれかの学校=寺院に送られ、マスターへの途(みち)を辿ることになる。
学校は全て男女共学であり、階級などによる差別は一切なかった。
ここで重視されるのは、生まれつきの天分と、バランスのとれた内的な発展であり、特に道徳の基礎となる心理的な素地の修養には、
幼い時から細心の注意を払うよう指導された。
例えば、「性」に関しては、
ぼうや、犬が食べ物に群がるように
女性に襲いかかっていはいけません
犬畜生のように 振る舞うものではありません
時の来る前に 女性に熱中して溺れるのは
犬が食物を あたふたと
むさぼり食らうのと同じです
女性を欲することがあっても我慢しなさい
強く逞しく成熟した男になるまで
心を強くして我慢しなさい
ほら、マゲイ(竜舌蘭)を見てごらん
まだ青いうちにミエル(樹液)を取ろうとしても駄目でしょう
ミエルを取るには 充分育たせ
たくましく熟するまで待たなけりゃ
そうすれば 美味しいミエルが取れるもの
お前も そうしなきゃなりません
女性に触れる前に
充分育ち 成熟し
そうして初めて役立てる
そうして背丈の大きな 逞しい 美しい子供を作るのです。
(コディセ・フロレンティーノ)
ここでは比喩的に語っているが、昔の人達は、性腺内の生殖機能は、女子18歳、男子21歳まで成熟しないということ、
そして物質を完全に超越するためには、自分自身を克服することが必要だということを、よく知っていたのである。
これらの学校では、20歳の生徒達が、19歳の生徒達に教え、19歳は18歳というように、次々に下の生徒に教える方式をとっていた。
「習う」「知を授かる」という受動的な姿勢だけでは、知育に偏向をもたらす。
ここに、「教える」という能動的な場面を交差させることによって、その偏向を正すにとどまらず、
更に理解の質を飛躍的に高める事にもなるという、深い教育思想が生きていたのだ。
【魂の故郷 アストランへの旅】
マルナリコのナワリズムに関する歴史的記録に、「インド諸島とヌエバエスパーニャ(アメリカ)の歴史」がある。
著者は、16世紀のカトリック神父、フライ・ディエゴ・ドゥラン。
彼は、スペインのメキシコ征服直後、首都テノチティトランの近く、チャプリン丘付近を飛ぶワシの騎士たちをいまだに見ることができた時代に、
原住民から直接話しを聞きながら、アステカの古文書のデータを収集したのである。
その記録の中に、次のようなものがある。
王モンテスマは、スペイン人のメキシコ侵略時の王で、アステカ降伏の前年、王国の滅亡に先んじて死んだ。
以下の物語は、スペイン人の上陸前夜の暗い予感を描いたものである。
メシカ族の王モンテスマは、自分の富と栄光を見ては、神にまでなったかと、うぬぼれていた。
王国の司祭たちは王より富んでいたが、欲望というものを克服した謙虚な賢者であったので、王に言った。
「我らの王よ。
いかに多くの人民が、あなた様に服従するからといって、うぬぼれてはなりませぬ。
あなた様が死んでしまったと思っている祖先の王たちは、太陽の光がホタルの光をしのぐように、あなた様をしのぐお方たちです。」
すると王モンテスマは、自尊心というよりも、好奇心に促され、祖先の住む土地「聖なる暁(あかつき)の館」へ使節を送るように命じた。
「聖なる暁の館」は、アステカの祖先がやって来たという、パカクタンボのクフの洞穴より、もっと遠い所にあるという。
この、気の遠くなるほど神秘的な場所まで、無事に到達する手段と、もう誰も知るよしもない道を見つけるのが、最も困難な課題だった。
そこで王は、顧問の長老、トラカエレルを呼び、次のように聞いた。
「トラカエレルよ、我らの神、ウイツィロポシトリが我々にお授けになった、栄光と富の一部の贈り物を、私の最も勇壮な首領たちに持たせ、
先祖と神々の足許に、うやうやしく奉献してくるよう、使節団を送ることを決めたのは知っているだろう。
また、神ウイツィロポシトリの母上ご自身も、生きておられると聞いた。
子孫である我々のかちとった偉大な繁栄を知れば、きっとお喜びになるであろう。
トラカエレルは答えた。
「偉大なる王よ、あなた様のお話しになることは、あなた様ご自身の意思や、世俗的な商いのためではありませぬ。
どなたか、崇高な神性があなた様を遣わして、このような、前代未聞の冒険をさせんとしておられるに違いありませぬ。
しかし、忘れてはなりません。
今、あなた様の決めたことは、力や勇気でなせる業(わざ)ではありません。
武器や、利口な政治手段で解決できるものでもありません。
これは、ブルハ(魔女)や魔法を知っている呪術師たちの中でも、特に秀でた人たち、つまりそのように遠い場所まで到達できる人たちの力を
借りるより、すべがありませぬ。
主よ、ご存じでしょう。
我らの古い言い伝えにもあるように、その道はすでに断ち切られており、またその道中には、恐ろしい、到底勝ち目のない怪物が
棲んでいるのです。
また底なし沼や、うっそうと茂った草原は、どんな向こう見ずな人でも命を失うであろうと言われています。
ですから王様、私の申し上げるように、賢い人々を探しなさい。
彼らなら魔法を使って、もしかしたら、人間なら間違いなく死んでしまう所も、無事に通って、我らの祖先の住んでいるという場所から、
戻ってこられるかもしれません。」
モンテスマは賢者トラカエレルの話しを聞き、クアウコアトルという、宮廷の歴史学者のことを思い出した。
クアウコアトルとは「知の蛇」という意味で、誰も彼の年齢を知ることができないほど、年をとった長老である。
モンテスマは、クアウコアトルの住む山まで着くと、尊敬の念を込めて挨拶をした後、次のように言った。
「我らの父よ、気高い長老、わが氏族の栄光。あなた様に会って聞きたかった。
我らの父と母がその血を引くという、我らの神、ウイツィロポシトリと、我らの尊敬すべき祖先が住むという、クフの天の洞穴について、
あなた様の生きた聖なる日々に、何か記憶はありませんか。」
「偉大な王、モンテスマよ。」
長老はゆっくりと答えた。
「あなたの下僕である私が、お尋ねの件について知るところは、大きな湖の中央に、アストランと呼ばれる丘があり、
そこに7つの洞穴があるという。
そして我々の祖先は、そこで年をとることもなく、幸福に住むということのみです。」
モンテスマ王は、領地のありとあらゆる魔女や呪術師を集めさせた。
このようにして、60人に及ぶ魔術師を集め、使節団を作った。
魔法使いたちは、トゥーラのコアテペックという丘に発つ前に、身体に香油を塗り、魔法のサークルを作り、祈念を行った。
そして彼らは、それぞれのナワールを呼び、鳥やタイガーなどに変身してアストランに向かったのである。
アストランのある大きな湖に着いた彼らは、元の人間の形に返り、祖先に会う準備をした。
(続く)