五岳真形図について

 

五岳真形図は東岳、西岳、南岳、北岳、中岳四輔山の図也。

首題ありて、霊宝五岳真形図と称し、譯文あり、次に奇文六行の文書有り。
其の傍に曰く、三天太上道君命有り、天地山川丘陵の神、我子を護りて害患を慎み、久安を念いて長全ならしめよと。

譯文有り。
此の傍に奇文あり、所謂(いわゆる)八会の書也。
此の奇文三十二文字。

次に五岳四輔山の図有り。
之れ、赤黒混合、盤曲委蛇たる山水の図也。

其の右傍に奇文あり。同体の大字なり。
並びに、東春、南夏、中央戌巳土、西秋、北冬の譯文あり。

其の左傍に、東岳眞形、南岳眞形、中岳眞形、西岳眞形、北岳眞形という楷書有り。

次に、四輔山の図、並に黄帝命霍山南儲、潜山南儲君、青城丈人、盧山使者という譯文あり。
巻末に老子文あり、其文に曰く、老子曰く、家に東岳図有らば、刑獄を辟け、人をして長生せしむ。

家に南岳図有らば、火光を辟け、家に西岳図有らば、兵を辟くること三千里、家に北岳図有らば、鮫龍風波を辟け、
水に入りて溺れず、家に中岳図有らば、家人をして患無からしめ、女は貴人と為り、男は宜しく官たるべし、
天子之を有せば、国安らかに民豊けく、道士之を有せば、身神仙に登り、凡人之を有せば、大だ命延長すと。

抱朴子に曰く、余鄭君の言を聞くに、道書の重きは、三皇内文五岳真形図に過ぐるは莫し。
古仙官至人此道を尊秘し、仙名有る者に非ざれば、授く可らざりし也。

之を受けて四十年にして、一たび伝う、之を伝うるに血をすすりて盟い、質(にえ)を委きて約を為す。

名山と五岳には、皆此の書有り、担だ之を石室幽隠の地に蔵むるも、応(まさ)に道を得べき者、山に入りて精誠に
之を思えば、則ち山神自ら山を開きて、人をして之を見しむ。

畠仲理という者の如きは、山中に於て之を得、自ら壇を立てて絹を委き常に一本を貢ぎて去れり。
此書を有する者は、常に清潔の處に置きて、為す所ある毎に、必づ之に白(まお)すこと、君父に奉ずるが如くす。

其経に曰く、家に三皇内文有れば、邪悪の鬼、温疫の気、横殃を辟く。
若し、因病して、死に垂んとするもの有らんに、其道を信ずる心の至れる者、此書を以て興えて之を持たしむれば、
必ず死せざるなり。
その乳婦艱難して絶気せる者、之を持てば兒生る。
道士長生を求めて此書を持ちて山に入るべし。
虎狼、山精、五毒、百邪を辟け、皆敢て人に近づかず、以て江海を渉り、蚊龍を却(しりぞ)け、風波を止む可く、
其法を得ば、以て変化すべし。

(中略)

堅磐曰く、右五岳の図は、毎に春夏秋冬に一たび出して、之を窺い、図の気を服す可し。
或は山に登るに、山下に於て之を頭上に頂く可し、或は江海を渡るに、船上に於て右手に図を持ち、六甲の秘祝を
唱え、九度之を振り終わりて、胸前に掛く可し。
是、五岳施行法なり。(神仙眞形図施行法、原漢文)

五岳眞形図の起源に就いては、内伝に王母の曰く、昔、上皇の清虚元年に、三天の太上道君下りて六合を観じ、
河海の長短を瞻(み)、丘山の高卑を察し、天柱を立てて地理を安(やすん)じ、五嶽を植(た)てて、鎭輔に凝し、
乃ち山源の気矩に因りて河獄の盤曲を睹(み)れば、陵回り阜轉じ、山高く隴(おか)長く、周旋(しゅうせん)委蛇
形(かた)ち書字に似たり。

是の故に、象に因りて形を書き、玄臺(げんだい)に秘して、而(しか)して出して霊眞の信と為す。

 

*清水先師曰く
「予て機会ある毎に陳述し来たり候如く五岳伝写の道機は、遠き深き勝縁によるものにて、実に神仙界に於いて天任を受ける者に
非ざれば之に逢着するを得ざること古来道書に於いて屡説し来れるところに有之、区々たる現世の柵や人生観とは関係なく、
現世出現の目的は大々成功であります。

天真の信として仙籍に列せられる者に五岳を賜はることの第一義は即ち五神気の其身に留りて永生の天寵を与えられる事を意味する。

五気五岳を通ずる時はじめて精気中の精気と成る。
現界の次元に係わることなく神界の精気其の儘の精度を以って流通し来たり我が身内に留るなり。
古来より神仙道に於いて五岳真形図は 最も重秘な尊図の中の一つとして尊崇され、本来は靈真の信と云って仙籍に加えられた
真位に列する者に対して、靈信つまり印として授与されるものであります。 

(つづく)

 

 

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