五台山より

法には法の生命力と謂ふものが必要で、道統の許しありて、始めてその継承が可能なのです。

古来、師家相承を強調された所以も此処にあり。神仙道道統を離れては、イミテーションに過ぎません。

道統から絶気する、或ひは絶気されることは、いずれも正真の霊威を喪失する事であり、如何に神法を駆使し善悪応ありても、魔事と心得るのが、古今の鉄則であります。

 

正しき神の信仰に励み、永年の修行を積みし人が、一時の心の迷いにて、玄法による呪詛的行為を行えば、その時、身を包む絢爛たる黄金色の光が失せて、黒気四辺に立ち込め、下等の邪霊・浮遊霊が集まり、神々の守護が消えます。

是の回復には、多大の清祓と年月を要する事を、呉々も申し上げます。

神仙道道統第四代総裁 南岳清水宗徳先生は、十二月三日午前四時未明、道山に帰られた。

二日の水位先生の祭りを終わりし、翌三日の晩、午前四時、西天に利鎌の月かかり、残星の余光、未だ消えざるの時、神上りされた。

十一月二十六日朝、先生は意識を失われてより、高知市の病院にて、再度覚むる事なく、昏々として眠り続けられた。

奥様を始め、諸人の必死の呼び掛けにも応じ給ふ事無し。

唯、昏々として眠る。
唯、昏々として眠る。
今にも目覚めて物言ふが如くにて、寝息は静かで有った。

何ら苦しみ無し。
眠る事八日、遂に覚める事なく、暁の空に昇って行かれた。

お互いが元気な頃、私に神仙道の後嗣になるように数度お話しが有った。
然し、神仙の道は、人にも世にも知られず隠れ潜み修行の身、その上神を祭って土佐路の奥深く臥龍の如く蟄居せんと思う者に取って、本部の七面倒臭い俗用多忙さを見聞きしているだけに、途方もない話である。

その上に当方は学も無い、道力も無い、指導者としてのカリスマも無い。

「汝自身を知れ」で「迚も迚も御冗談を」

そして、若い後継者養成の急務なる事を 度々進言した。

時は流れ、昭和六十三年十二月の悲報を迎えた。

親戚の方も、古参の道士の方も、「神仙道の件、後はよろしく頼みます」と。

この老いたる痩せ馬に重荷を全部載せて、楽々と帰ってしまわれた。

少し待てと、後追い掛けても混雑に紛れて既に見えず。
これが運命というものであろう。

清水先生は、用心深い人で有ったから、後嗣はとうに構えて居るであろうと楽観していたのは、私の単なる希望的観測に過ぎなかった。

昔の博徒は、一宿一飯の恩義に殉じた。
先生の処で、一体何宿何飯かと思えば、退く訳にもならぬ。

先生は実に真実の先生であったなと思う。
現在の日本の道教研究者としての学者もあるが、あれだけの学をしておられる方は、他には知らず。

その後を誰が継ぎに来るか。
それは金力でも計略でも狡知でもなく、唯、神の導きによる人でなければばらぬ。

その人多分 若い人であろうが、其迄其迄持ち堪えねばならぬ。

 

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