謹記』

 

我が宮地神仙道に於いては師仙水位靈壽眞人によりて將来せられたる神集岳神界を信仰の中心と仰ぐものなること勿論なるも 、
其の大永宮の現界的御表現と拜すべき 伊勢神宮、また九羅殿の御表現と拜すべき出雲大社の御存在を極めて尊崇敬拜す。

天津眞北の高天原、北極紫微宮神界 は異境備忘録にも其の實消息を謹記されある如く北辰星(北極星)中の宇宙根本幽府にして、
道士は常に紫微宮玉京山鳳宮に鎭まり坐す造化三神を尊みて其の太一を體し我が眞一の元氣を養ふべきなり。

また神集岳紫籍府大司命神達をはじめ奉り、小司命神として日夜我らを訶護啓導し給ふ古來由緒ある名社古社産土神達の
御愛慈を片時も忘るべからず。

言別けて我が 宮地神仙道靈統上の祖神とも仰ぐべき少彦名大神(東海大神仙王金闕上相大司命青眞少童大君)は、
神集岳神界に於ける重要御位置はいわずもがな萬靈神岳の主神として地上諸々の神仙界及び海仙界をもと統理し給ふ
靈威無比の大神仙王に坐し、我が正眞の神仙道を奉ずる道士の夢寐にも敬拜し奉るべき大神たり。

 

また大山祇大神は宮地神仙道の草分けたりし宮地常磐大人を啓導し給ひ、水位靈壽眞人の神仙界交通を幽助訶護坐せし
特別因縁ある大神にして、神山手箱山は實にこの大神の御意志によりて開山せられたるものなり。

龍飛大神、龍徳大神のニ神は少名彦那大神の御補佐役に坐し、水位靈壽眞によりて始めて其の御神名と御神徳を明らかに
せられたる霊威の大神に坐すなり。

我が道の士は深くニ神の御結縁を祈念し奉りて日夜厚き御愛慈を垂れ玉はむことを懇祈し奉らざるべからず。
また我が求道の士の幾久しき師仙と仰ぎ奉るべき川丹先生は諸葛大武亨司眞君、玄丹大靈壽眞人と稱し奉り
開化天皇の十年、漢ノ景帝の中元ニ年に 地上に生を亨け後仙果を得て神集岳神界 に入り現に退妖官の尊位に坐す天仙にして、
水位靈壽眞人が師仙と敬いひ奉りて常に大小となく御指数を仰ぎ給ひし神仙なり。

我が宮地神仙道の今日ある洵に川丹先生に負ふところにして、旦暮其の御恩頼に倚依し奉らざる可らず。

手箱神山を我が宮地神仙道の根本修眞道場と為す所以は、先祖考常磐大人の参籠開山並に先考水位靈壽人参籠修錬の因縁、
即ち宮地神仙道發祥の靈山としての靈的関係に由来するものなること勿論なるも、手箱山神境と神集岳萬靈神岳との氣道の関連も
また極めて重視されざる可らず。

さればとて手箱山を以て直ちに神集岳萬靈神岳の表現と為すの謂に非ず。
地上某所某山を以て神集岳萬靈神岳の表現と為すが如きの説は水位靈壽眞人の可って嘗て言及せさせ給はざりしところにして、
我が宮地神仙道に於いてはすべて何事にまれ水位靈壽眞人の遺記されたる範囲と限度に於いて、其の存在を
古人が高天原と傳へし如く空中遥かなる一大神仙境として遥拜し奉るなり。

たゞ此の両神仙界と手箱山境間に於ける氣道の存在は極めて重視さるべく確信す。

また手箱山中大瀧(オホタビ)の靈境に就ては異境備忘録中にも特記され、師仙川丹先生の屡々來往し給ふ處なるも、
旦暮其の御恩頼に倚依し奉らざる可らず。

この靈境に鎭り坐す 白龍黒龍と稱へ奉る高貴の神達の御消息に関しては今その詳細に亘りて述ぶる自由を有せずと雖も
常磐・堅磐(水位)両大人 以來の格別なる御因縁に照らしても靈力長養を冀ふ道士の崇敬せらるべき靈域たり。

直接登拜さるゝ場合は此處にて参籠水行さるるをよしとす。
また大瀧に坐す神達とて 時々は遥拜せらるべきなり。

手箱山頂六千尺の高峰上に更に屹立して神霧漠たる筒上三十六尋の鐡鎖を登攀せる最高峰の一大神秘境は
大山祇神の御依頼によりて常磐大人之を開山し給ひ、その一角常磐堅磐神社には自ら神魂を留め給ひし因縁の靈峰にして
我が奉道士の必ず實地に結縁を要すべき神境なり。

また靈統上の神祇 師仙を拜禮するの際に於いては、手箱の神山に鎭り坐す大神達を念じて遥拜せらるべし。

師仙水位靈壽眞人は其の前生は神集岳の仙官たりしが謫仙として現界に生を 享け幼少十歳の頃より再び神集岳に出入し
天上地上幾十百の神仙界にも交通され、その天賦の靈智と特殊の靈的便宜に本づき靈統上の神祇師仙の御啓導のまにまに
神集岳を背景とする我が宮地神仙道を大成し給ひ明治三十七年三月二日肉体を脱せられて再び神集岳に帰天し給へる活神仙たり。

 

今その道風を景慕して流を宮地神仙道に汲まんとするの道士は、水位眞人が千古の玄秘を闢いて宇内第一の幽府たる
神集岳の實相を将来せられ、且つ靈統上の神祇師仙の御因縁を闡明して宇内最高最深の正しき神仙道に格(イタ)るの正径を
啓開せられたる眞意を思念し、純一無雑の倚信を致して清潔なる道縁を遵守せられ、帰幽後なほ一貫せる靈胎千萬年の
修道生活に於ける不惑の道標を樹立せらるべきなり。

宮地神仙道の現界的規模はいかに微々たりと雖も、宇内第一の幽府たる神集岳神界に直結し、道統上の神祇師仙を
直ちに神集岳の大神仙に仰ぐ霊的脈絡の深遠廣袤なるを常に憶念し、其の結縁の容易ならざる道福を確信すべきなり。

濫りに神命神示の類を偽作羅列し鬼面小児を嚇すが如き似而非なる神集岳斎庭信仰なるものは我が水位靈壽眞人の毫も
関知し給ふところに非ず、且つ其の道風と相去ること千萬里なるを知るべし。

 

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