(エジプトの闇の王子 セト)

悪魔とその現実

 

日本の伝統に見られる般若の神秘

「悪魔の神秘」は、人類の神秘の中でも、最も奥深いものの一つです。
しかし、多くの宗教、哲学においては、不可侵の領域として、口にすることさえ避けてきたテーマでもあります。

それは、なぜなのでしょうか?
あまりに重大なキー(鍵)が隠されているからです。

「光と闇」、「陰と陽」の二元の原理として不可欠の、また宇宙において、特有の重要な役割を持つ存在としての悪魔の神秘。
今日は、この神秘について、できるだけ判りやすい説明をしてみましょう。

このテーマを理解する上で、幸いなことに、日本には「般若」が存在します。
般若は、西洋のルシファーに相当するものと言えます。
ルシファーは、「地に堕ちた天使」として、知られています。
悪魔が何であるかを真に知るには、ルシファーが意味するものを理解しなければならないのです。

皆さんは、このルシファーを、日本の伝統の中に生きている般若によって、理解するでしょう。
そして、このことによって、悪魔の秘密を解いていくことができるでしょう。

 

 

私が日本の皆さんに、般若に対するイメージを聞いた所、般若と悪魔の関連性に気づいている人はいませんでした。
しかし、西洋人なら、角の生えた般若の顔を見て、すぐに悪魔を連想します。
般若という言葉は、サンスクリット語の、プラジュニャー(
Prajuna)から来ています。
この言葉には、「真理を見るところの叡智」という意味があります。
辞書を引くと、「真理をはっきり見ることのできる智恵、般若面。また、鬼のような恐ろしい顔つきをした女」とありました。

なぜ、このように恐ろしい顔をしているのでしょう。
それは、般若が智恵であり、真理だからなのです。
我々は往々にして、真理は大変美しいものだと考えがちです。
しかし、真理とは、すなわち現実のことに他なりません。
その現実は、我々がそれに直面する時、堪えられないほど、恐ろしい顔つきをしているのです。

 

例えば、我々は、自分が大変進化した人間だと考えています。
しかし、現実は、「理性を持った動物」に過ぎない存在です。
それは理解しがたく思えるかもしれませんが、残念なことに、現実です。

更に堪え難い現実があります。

それは、現在、人類の行動の多くに、動物にも劣るものがあるということです。
動物は、戦争を引き起こしたりはしません。
ポルノグラフィーで暇をつぶしたりもしません。人工中絶も決してしません。
犬も、一度子を孕めば、もう雄を近づけたりはしないものです。

それと比較して、人間の行動はどうでしょう。
肉欲、虚栄、妬み、裏切り、批判など、自分のうちの多くのみにくい部分を発見することができます。これが現実です。
般若の恐ろしい顔なのです。

本当に勇敢でなければ、この現実に直面することができません。
しかし、我々は進化を望むのならば、まずこの現実に直面しなければならないのです。
自分の内的な現実を、正直に認めるところから、新しい一歩を踏み出す準備ができます。

 

このように、般若の面には、大変深い意味があるのです。
その恐ろしい顔は、我々にまやかしでない現実を突きつけて、「真理をはっきりと見ることの出来る知恵」を得よ、という教えを秘めているのです。

 

また、般若が「女」であるという点にも注目してみましょう。

般若の角を持つのが女性であるからこそ、神道の婚礼では、花嫁が「角隠し」をつけるのです。
結婚という「性の神秘」のベールを上げて奥義に参入するために、神々の祭壇の前で、男女は聖なる誓いを立てます。

創造の女性的見地である叡智(宇宙の母)の助けを得て、完全なる存在になるためのスタートラインにつくのです。
三三九度の盃の儀式には、そのことがシンボリックに表されています。

 

これについては、後ほど詳しくお話しましょう。
この般若の面の意味する所を知っただけでも、悪魔というテーマが、いかに奥深いものであるかを、想像することができるのではないでしょうか。

 

魂とエゴ、我々の中の二元性

人間は、五つの部分から成っています。

@魂

A霊

B肉体

Cエゴ

D運命

です。

 

この中で、魂と霊と肉体が、「三の法則」と呼ばれる、創造の法によって、最初に表現します。

「霊」とは、心理(サイキス)と言った方が、判りやすいかもしれませんが、テレパシーや、超視覚などの超常感覚機能は、この霊の機能です。

また「霊体」と言う時には、霊が魂の乗り物としての機能を果たす時の形態を表します。

アストラル界の為の、魂の乗り物としてのアストラル体、更に高次元の世界に行く為には、非常に繊細な振動の、コーザル体や、メンタル体などがあります。

霊と比較して、「肉体」は、三次元(物質界)の乗り物であり、最もエネルギーの凝縮した、重たい形態と言えます。
霊は、肉体と魂の間にあって、この二つの媒介となり、中和させる役を持ちます。

次に「運命」ですが、我々が生まれる時、すでに運命が与えられています。
前世までの行いの結果として、またこの人生で習得する為に必要なプログラムとして、運命があります。

それにプラスして、「エゴ」の成分があります。
エゴは、肉欲、怒り、金銭欲、虚栄、妬みなど、我々の心理(霊)に付着した汚れであり、霊に誘惑を与える存在です。
これも、前世から引き継いだものです。

エゴは、我々自身が作り出してきた産物であり、意識的な努力(ワーク)によって根絶しない限り、消滅する事はありません。
肉体の死後も存在し続け、次の人生が始まれば、また同じ主人の元に、磁気的に引きつけられてやって来るのです。
そして、我々の多くの転生を通じて、誘惑に負けるたびに、エゴは更に強大になっていきます。

このエゴに対して、我々の最も神聖な部分である、「魂」を、我々は持っています。
魂は生命の火であり、気息に乗り、母親が受精した時の呼吸を通して、体内に宿ります。
そして、血液によって全身に運ばれ、生命を伝えます。我々の体中の細胞に、魂はあります。

一つ一つの細胞は、@エネルギー、A物質、B意識 から成りますが、この「意識」に魂が表現するからです。
そして、全身にある魂の、いわば司令室に当たる神聖な原子「ヌース」は、我々の心臓の左心室に位置しています。

このように、我々の魂は、我々の内における、神の表現です。
だからこそ魂は、常に天に向かって上昇しようとするのです。

魂の故郷は、天空に輝く星々の彼方にあるからです。
反対にエゴは、我々の中の悪魔を代表しています。

 

さて、魂はその属性の一つとして、「自由」を持ちます。
自由とは、天与の賜物なのです。
我々が、エゴと魂の間にあって、上昇を選ぶか、下降を選ぶかも自由です。
決して強制されたり、他の誰かに決めてもらうというようなものではありません。
エゴの奴隷となれば、下降してしまいます。

上昇、すなわち、精神的進化を実現するには、エゴを破壊しなければなりません。
その為に、それをどのように達成するかを教える、真実の知恵(ノーシス)が、母なる神(創造の女性的見地)から、与えられているのです。

 

神と悪魔 対抗する二極

我々の中に、魂とエゴと云う二極が存在するのと同様、外にもそれは存在します。
真実の知識を人類に与え、魂を導く存在と、エゴを操作し、人類を誘惑に陥れようとする存在があります。
はじめに、魂を導く存在について考えてみましょう。

人間は、神々の教えや導きなしに、自分自身の力だけで進化できる存在ではありません。
ですから、人類に真実の知識を与え導くために、それぞれの時代、それぞれの地域に、教育者が送られました。
魂を導く、真の教育者です。

それが、仏陀やキリスト、ゾロアスターや弘法大師などの、偉大なるマスターたちなのです。
魂はこのように神々と、その地上における具現者によって導かれます。

 

では、エゴは一体、誰に操られるのでしょう。それは悪魔です。
しかし、エゴが悪魔であると言っているのではありません。
エゴは、悪魔の役を演じる、役者の一人として使われるのです。

このように、外にも内にも、相反する二つの極があります。
「創造」と「破壊」に、「光」と「闇」、「愛」と「憎悪」に、この二極があります。

人間に神は自由を、悪魔は奴隷化をもたらします。

我々の日常を見てみましょう。
例えば我々は、ポルノグラフィーに引きつけられたり、心が妬みで一杯になることもあります。
そんな時、我々は幸福でも、自由でもありません。
怒り、情欲、嫉妬というエゴの奴隷になっているからです。

反対に、夜空の星を仰ぎながら、すべての雑念から解放され、宇宙と一体になって飛翔することもあります。
そんな一瞬に、自由と幸福を感じるのではないでしょうか。

神は叡智であり、悪魔は無知です。
神々は人類に、叡智を与え進化に導きますが、悪魔は人類を無知のままにしておこうとします。
無知は、人類の最も大きな罪の一つです。

多くの人々は、永遠なる真実の知識を求めるより、一時的な快楽や、安楽な生活に目を奪われ、貴重な一生の時間を無駄に費やしてしまいがちですが、時間の無駄遣いをさせることは、悪魔の最も巧妙な手段の一つです。

 

つづく

 

 

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